アフガニスタン派兵と兵士の給料。 | gozira hunterのブログ

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うちの元社員で若くて元気のいい真面目の青年がいた。彼はアメリカ生まれのフィリッピン人でうちに来たときはまだ10代の歳で、拳銃が買えない歳なので、他の社員が腰に拳銃を吊るっているが、彼はナイフを吊るっていた。身長もすくすくと育ってうちに来てから10センチ以上大きくなってゆうに180センチを超えた。アメリカの軍隊のシステムはよくは知らないが、時々彼はアーミー リザーブヘ行き訓練を受けていた。彼女もいた(現在は結婚してるが)彼女の父親も母親もフィリピン人だが父親はアメリカ軍の職業軍人でその頃はヨーロっパの基地で勤務していた。

 

彼はフリピノによくある家族構成の家で育ち、浮気男の多いフィリピン人の父親は知らないと言っていた。彼は彼のお婆さんによって育てられた。

 

その彼から連絡があり、うちがガンショップを辞めた時、お客さんが委託で6丁の銃を置いていったが、店を辞めたので彼女が店に来たがすでに店は閉まっていて、連絡が取れない。それから6年もの歳月が流れたある日、彼女は書類をチェックしていたらうちの社員の彼の名刺が出てきて、その裏に彼のセルラーホーンNOが書いてあり、連絡が取れた。

 

彼からオレに連絡があり3人でジャパンセンターで合って$2,050ドルを彼女に払ってやった。彼女はラッキーだった。なぜならもし彼がアフガニスタンへ行っている間の1年間に連絡をしていたら連絡は取れなかったし、もしオレが日本へ長期滞在してたら、、、またはとぼけて 知らんよ、、、昔のことだから、、なんて云うかも知れない。しかしなんでもそうだが、ビジネスでも友達でもケジメはきちんと、つけなければいけない。彼女はここサンフランシスコから北約1時間のサンタ ローザから来ていた。

1951年生まれの白人のおばさんだった。チェックを切ってやるとニコリと笑って帰っていった。

 

 

そんな面倒見のいい男がアフガニスタンから1年契約の派兵から帰ってきた。すっかり逞しくなって、陽に灼けて貫禄がついて身体も一回り大きくなった。詳しいシステムは彼に聞かなかったが。

彼いわくアフガニスタンはボランテアーみたいな感じで命令ではなく行くようだった。アメリカ政府もアフガニスタンからの撤退を最近は決めたようだ。

 

 

彼の戦闘地帯は高山で気候も涼しく、快適な土地で、このあたりはロケット弾が時々飛んでくるだけで、兵隊同士が撃ち合う映画のシーンような場所ではなかったらしい。たぶん相手のタリバンも最近では勢力がかなり弱っているのだろう。彼はアフガニスタンではエンジョイしていたよ、グッド エクスペリエンスだった、、と笑っていた、いい度胸だ。

 

 

 

それでは、アフガンでの兵士のお給料は、すべての衣食住経費は政府が払い1年契約で所得税なしネットで8万ドル。

 

彼はエヤーポートのセキュリテーのようなところで働いていた。軍隊経験者はこういった職場でも優遇されるという。

彼は、またもう1年行く、、といっていた。2年行けば16万ドル。これを頭金にして家を買う計画だ。

 

 

彼のワイフは軍人の娘でフィリピーノ、現在ナースの資格をとる勉強をしている。ナースはある程度教養のあるフリピーノの女が多く、ここサンフランシスコ周辺の病院ではけっこう見受ける。平均年収は8万ドルかそれ以上というから、アフガン派兵なみだな、、しかしこれは税込みだ。ネットではない。

 

 

しかし、兵隊が独身ならいざ知らず、すでに結婚している若いカップルなら、1年も外国に行っていたらワイフは他の男と浮気か、夢中になり、他の男に移っていく女が多いだろう。昔からアメリカの遠洋漁業の漁師は結婚できないという事を言われていた。長い期間の仕事から帰ってきたら女房は他の男と何処かへ移って行ってしまった、、という筋書きである。

 

 

ちなみに私めの経験ですが、アメリカへ来て2年目、、噂を頼りに冒険と金を稼ぐ旅にサンフランシスコからアラスカへ向かった。仕事はなんでも良かった、それが過酷な仕事でも危険な仕事でも、25歳だった。とりあえず当てもなくサンフランシスコからグレイハウンドバスの乗ってシアトルに向かった。そこから船でケチカン、ジュノーなどのアラスカの海岸線から職を探そうと思っていいい加減に計画を立てて突き進んでいった。

 

 

運良く仕事が取れた。コデアック アイランドとい島の缶詰工場だった。

 

 

 

そこで約2ケ月、その前後2週間、、6月の半ばから8月の終わりまで働いて、サンフランシスコに戻ってきたが。

 

 

あ〜〜あ、オレの最初の白人の彼女はあっさりと、他の男に移っていた。たったの2ケ月半のお留守でしたが。

 

 

 

 

アラスカのカリブー ハンテング 90年代なかばの頃。