一発の弾で大騒ぎする日本と、30年前のアメリカのガンデーラー達。 | gozira hunterのブログ

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昨年いっぱいで我が社のガンショップが閉店して、サンフランシスコからガンショップがなくなった。アメリカの大きな町では最初のことで、テレビや新聞のメデアが大騒ぎしていたが、店を辞めたので、いろんな書類を整理していたら、黄色くなった古い新聞の切り抜きが出てきた。ちょうど30年前の1986年3月3日のものだった。


なんと、ここシスコ周辺だけで200人くらいがFFL(フェデラル ファイアーアーム ライセンス)を持っていたのだ。医者から、警察官から、中国系は勿論、このライセンスがあれば、デーラーから小売りで買うより20%~40%安く買える、銃の好きな連中はライセンスが簡単に取れるので、自分や友達たちのためや、ガンショーで売っていた。この頃でも銃砲店として店を構えているのは、サンフランシスコ ガンエクスチェンジ、マーケル、そしてオレがこの年の2年後に買収した、元全米ラピッドファイアーピストルのチャンピオンで、1948年ロンドンオリムピック銅メダルに輝いた、中国系米国人の、ボブ チャオ。この3軒くらいだった。



1986年。なんと1年間のライセンスフィーがたったの$10ドルであった。




今では、銃砲店のFFLライセンスと保険、輸出入のライセンス、その他なんだかんだで、年間1万ドルちかくかかる。時代が変わったものだ。アメリカも年々全てのビジネスに厳しくなっているようだ。古き良き時代のアメリカも年々増々せこくなってくるように感じるな~。



この頃1986年当時は、日本のバブル経済が始まった頃で、元気のいい日本人男女が毎日のように、わんさとアメリカ観光、ビジネスツアーに来て、旅行業界は活気を帯びていた時代だった。我が社も、毎日お客さんを射撃場に連れて行って、ガンツアーも一番忙しかった時代だった。年間三千人から四千人がガンツアーに参加して、バカスカと銃を撃ちまくっていた。



そのほか、この頃オレは、日本から廃棄銃を日本から輸入して、ここカリフォルニア州を北から南にかけて、ガンショーの会場へ行っては売りさばいていた。


ロスアンゼルス郊外のポモナという町で、毎年全米一というサイズのガンショーがあり、なんと会場のテーブルの長さだけで7マイル半という、スケールの大きさ、とても1日では見きれない広さだった。そこでオレは8フィートの長さのテーブルを5つ借りて、銃を50~60丁並べて4日間のショーで100丁くらい売った。オレは中古散弾銃では、ガンショーで一番大きいデーラーだった。






上の地図、その頃のカリフォルニア州ガンデーラーの数、凄い数だ。ちなみに、この頃の全米合計は、なんと25万人がライセンスを持っていた。


この1986年のサクラメント(カリフォルニア州の首都)のライセンス所持者が、

413人、現在ガンショップは25軒と減った。今では店を構えないとFFLのライセンスが貰えない。キッチンテーブルデーラーは、もうずいぶん前からライセンスが取れなくなった。


フレスノでは384人が、現在は46軒のガンショップとなった。



しかし、銃のデーラー達が減っても、昔も今も銃の犯罪は減らない、逆に昔より現在の方がもっと悪質な犯罪が増え、環境がもっと悪くなっているようだ。







日本で、外国の、野球の選手が、何かのミスでピストルの弾が1発、荷物の中に入っていて大騒ぎ、不起訴処分にはなったようだが、3ケ月の出場停止処分とか、まったく馬鹿げた話だ。球界関係の、大の大人が並んで、頭を下げて、すいません、、、あ~~あ、弾1発、どうってことないだろうに、弾が爆発するわけでなし、ましては銃がなけれな、撃てない、、、そんなことも理解のできない馬鹿な大人が、つくった法律だろう。子供のような頭を持った東大出の法律の先生がつくるのかな、なんせ10センチ以上の刃渡りのナイフを持って歩いてはいかん、とか、5~6歳の子供に言うのなら話はわかるが、大の大人が、は~~いと言って、言う事を聞く、、、どうにも稚拙化が止まらない日本国、これじゃ~将来暗いな~。



もう日本国は徴兵でも、しかない限り、青年達は、強く逞しく元気にならない。


そんな気がしますな。どうもアメリカに長く住み過ぎたようだ。