今回は偶然にも、弟が2人東京から墓参りに来たので、兄弟3人揃ってお墓参りをした。それから藤岡の町の、回転寿司で昼食をしてから、実家の庭の草むしり、今は金魚もいない、裏庭にある池の、ドブじょうの汚い水を掻い出したりした、少しはきれいになったから、弟に泊まって行け、、と長男のオレが言っても、2人の弟は、さっさと東京に帰ってしまった。馬鹿やろうめが。
それから、藤岡市にいる友達に電話したら、これから、そちらへバイクで迎えに行きます。と変な事を言う。バイクの後ろには乗りたくないな、、と思った。そのバイクがやって来た。
なんと第2次世界大戦の頃に造られた、アメリカ製の軍用サイドカーとハーレーが我が家の前にやって来た。


このサイドカーに乗せられ、米軍の鉄兜をかぶされて、米軍のミリタリージャケットを着せられ、もうルックス、バリバリのミリタリーマニアの世界。
杉の峠という山を越えて、群馬サイドから埼玉県側へ移動。なんせこのバイク70年も経っているので、古いのか、パワーがないのか、途中急坂でエンストはするわ、、、ま~こんなバイクだから、道行く人達が好奇心満々で見ている。マフラーからも排気ガスの黒煙が、ブロ~~ブロ~~と出る出る。


我が家の前での撮影は、1945年頃の風景に完全マッチ。まったく、昔のままの家なので、映画に使ってもおかしくない。このアメリカ白人兵は、わが故郷、群馬の鬼石町に住んでいる、アメリカ人アーテスト。彼も、この第2次世界大戦の頃の、米軍車両に乗って大喜び。
彼は、この鬼石町に住んで ”白人だから 白鬼のニックネイム” でいろんなアートの仕事をしているらしい。日本語は読み書き、会話まったくOK、、インテリだな、、オレが ” オイ 日本人の彼女いるのか”? と聞いたら、、お茶の先生をやっている、若い彼女が東京にいる、、と言って、写真も見せてくれた、ま~ま~の女だな。


これは凄い、関東周辺の軍用車両コレクターが、よくぞここまで、日本国内で集めたものだと感心する程、かなりの数の、第2次大戦の頃、活躍した車両を集めていた。ライフルやマシンガンまで、堂々と付けて走っている。(もちろん弾はでないが)。
年に数回、この利根川周辺の河川敷に集結して、盛り上がっている。今回は埼玉県の寄居市の河川敷でした。
では、次回は大日本帝国の軍用車両を見に行こう??。どこにあるのかな。
日本人は、米軍兵のかっこうをするのより、日本兵の軍服が本当に似合います。私も日本軍上等兵のオリジナルの軍服を持ってます。
これ着て、引き抜いた陸軍刀を持つと、自分でも驚く程、ぴったしと決まるんです。
それではまた。