ぼくには何人かの女友だちがいる。
こんなことを書くことは既婚者であれば家庭内紛争の火種を撒くような行為なのかもしれないが、
幸いぼくは独身なので既婚者のように心配しなくてもいい。
世の中一般的には結婚したら異性の友だちとの交流は疎遠になるようだ。
伴侶の心理状態の安定のためにも、
これはある程度いたしかたないとぼくも思っている。
自分の場合を想像(妄想?)しても、
妻が独身時代と同様に、
あるいはそれ以上の頻度で異性の友人と会っているという事態になったら、
ぼくの内面は穏やかではいられないだろう。
自分で言うのもなんだが、
ぼくは恋人やガールフレンドが、
他の男性と友だちづきあいすることに寛容なほうではないかと思う。
その寛容なぼくでさえ妻の男友だちとのつき合いには動揺するのだから、
そうでない人の場合はそれこそ紛争勃発も覚悟しなくてはならないのかもしれない。
なぜ女ともだちのことを書いたかというと、
人生の折返し点をとうに過ぎてしまった年代になって、
自分に癒やしや刺激を与えてくれるのは、
男性の友人よりも女性の友人のほうが多いからだ。
男性の友人、女性の友人ともにつき合いはあるが、
男の友だちとの会話では仕事や趣味や世間の話題、
それから「オイシイ話し」などのいわゆる情報交換の会話が多い。
それに対し女友だちとの会話では感情を話すことができる。
いや、感情を打ち明けないと彼女たちは満足しないようなところさえある。
男性同士の会話では、
目に見えることがらの会話に終始するから
イチローが忍者のようにキャッチャーのタッチをかわしてホームインした話で盛り上がっても、
その話を聴いてくれてありがとうと思うようなことは少ない。
しかし女友だちに対しては、
認知症の初期症状が出ているおふくろが、
食べ残ったご飯が炊飯器に2~3食分以上入っているにもかかわらず、
夕食後の片づけのとき翌朝のために米を研いでしまうので、
冷蔵庫に何食分ものご飯が溜まって困っている。
ときどき「コンチクショウ」と思うこともあるのだが、
おふくろに対してはその怒りを表わすことができないという話ができる。
そんな話を聴いてくれた前後には、
彼女自身が困ったり悩んだりした話をぼくが聴いていることが多い。
女友だちには感情を打ち明けることができるのだ。
さらに女友だちのなかにはこんな友人もいる。
4年前にあるサイトを通して知り合った Ruka(愛称) という女友だちがいる。
彼女は以前小説の文学賞をめざして投稿していたという経歴を持つ、
いわば作家志望の先輩だ。
4年前まではフィリピンに家を買って暮らしていたという、
小説の世界を地で行くような異色の経歴を持つ女性でもある。
ぼくが彼女を知ったとき、
彼女はまだフィリピンで暮らしていた。
その後彼女は帰国し、
再婚していまは東海地方に住んでいるのだが、
メールはいまでも続いている。
彼女はぼくが作家になろうと思っていることを告げると、
とても喜んでくれた。
お互いブログを書いているので、
最近の話題はブログの内容についてと文学についてが多い。
ブログの感想を書いたり、
本を紹介し合ってその本の感想を書き送ったりしている。
彼女はブログにエッセイを書いているのだが、
それがなかなかいいエッセイなのだ。
生き方、考え方が小気味いいので、
読んでいて気持ちがいいし、
文章を書く力もとても高い。
ぼくはまた作家をめざしたら?と水を向けるのだが、
彼女は「海外で暮らすのが夢」と言って、
書くことはあくまでも趣味だという。
こんな人だから作品の読者としては願ってもない存在だ。
読んでいい・わるい、好き・嫌いを言ってくれるだけでなく、
書き手としての苦心もわかってくれるからだ。
また、常識に囚(とら)われずに自分のものの見方を持っている人なので、
こちらも胸をひらくことができる。
このようなやりとりをする男性の友人はいない。
詩や文学仲間はいるのだが、
男同士のこころの距離はもっと遠い。
この先、ぼくがいまの道を進んでいくと、
さまざまな文学関係者と知り合うだろうが、
やはり男性同士でここまで近づくことはないと思う。
ぼくに担当の編集者がつくようになれば、
作品の内容についてさらに突っ込んだ話しをするようになるかもしれないが、
その編集者が男性であれば、
その突っ込んだ話しは作品のなかだけに留まることだろう。
もし女性の編集者であれば…
そんな妄想をしているうちに、
Rukaから(ブログを)「今夜中にアップしないのかな?」というメールが届いた(^_^;
ぼくには得がたい女友だちがいる。
Rukaのブログ
「私は恋愛至上主義の女」
http://blog.livedoor.jp/princessrumi226/