今日は朝から晴天、風も気持ちよくって昨日のうじうじした気持ちがスッキリとしていく気がした。とても良い日曜日だ

 

予定日を12日後に控えた我が家、今日わたしの田舎から実母がやってきました。わたしの実家は北陸の方なので、こんな時期だし

里帰り出産はせず、最初から今住んでいるところで生み、産後のお手伝いとして母に来てもらう予定だった。色々と相談してみると、出産前から我が家周辺の地理を分かってもらうために母に来てもらっておくのが良いとなって、少し早いけれど今日来ることになったのだ

 

取り敢えず、わたしとしては食事の準備や家事の色々を母にお願い出来るのでラッキーと思っている。彼も仕事で家にいないこともあり、急に陣痛がきたときにそばに誰かがいてくれた方が良いだろうと言ってくれている。ただ、やっぱり気は遣うよね、と思う。だんだん慣れると思うけれど、彼にとっては少しストレスかもしれない。わたしの産後のストレスと天秤にかけると彼には我慢してもらうしかないので、こればっかりは仕方がないね

 

ちなみに、彼の両親&親族(彼の姉夫婦とこども)は実は同じ駅の反対側に住んでいて超近い。会おうと思えばすぐに会える距離であるし、義母もなんでも言ってね、やお手伝いするからね、と言われている。でも嫌だよね~。ただでさえお腹も重くって精神的にもきつくって、産後どうなっちゃうのわたし~というくらい不安なのに、義家族に気なんか遣っていられない

 

そういうわけで、産後の義実家除けとしても実母に我が家にいてもらうのは大変良いことなのだ

 

とは言っても、実母が人間的に素晴らしくって尊敬していて頼りになる、という訳ではない。消去法でわたしのストレスが軽減される方を選んだだけ。今回、今日から約1ヶ月ほど実母と同じ家で暮らすのだけれど、よくよく考えると高校を卒業して実家を出てから、はじめてこんなに長く一緒にいることになるのだ。最近は年に2、3回、お盆とかお正月に帰省して1泊2日とかで会うだけだったけれど、毎日一緒にいることできっと忘れていた嫌な面も見えてくるのだろうなあ。それはもちろん、わたしだけが感じるのではなく、向こうだって感じるだろう

 

そういう意味で言うと、これを良い機会として、母に対する考えというか態度みたいなものを変えてみようとも思っている

 

つまり、母と向き合おうと思っている

 

向き合う、だなんて大それたことを言ってはいるが、決して関係が悪いという訳ではない。仲は良いと思っているし、何だって(わたしは)言えるとも思っている。だけれど、ふとした時に、「ん?」と感じることがあるのだよなあ

 

わたしは自己肯定感が低いと思っているのだけれど、母も自己肯定感が低い。そりゃあ、自己肯定感の低い親に育てられたのだから、そうなるよね。わたしの場合は、自分の自己肯定感が低い、と分かったときから、なんとかしたいともがいてもがいてきた。20歳の頃に比べると随分自分自身に対する理解も深まったし、自分の精神思考というか偏った考えにも気付くことができたと思う。だから、10年前、5年前、3年前、昨年、と、以前のわたしに比べると、本当に生きやすくなったなあと思っている

 

それでもやっぱり、根底にあるわたしの根っこみたいなところは、まだまだ自分を認めていないし、許せていない。失敗を許せないから、完璧を目指して調べまくってしまうし、今でもそうなのだけれど、子育てに対しても1つだって間違いたくないと思っている。もちろん、妊娠中だってそうだ。葉酸はこれが良いと自分で調べたら、それをきちんと毎日飲み続けるし、これはやってはいけない、と分かれば注意をする。出来ていない自分を許せない、という本当に損な性格をしていると思う

 

昨日、感情が溢れ出してしまったのは、そういう自分がこれからどうなってしまうのだろう、と不安が募っていたという理由も大きい。完璧主義が故に、すべてを思い通りにしたいのだ。わたしの言う通りにしておいてくれれば失敗しないのに、どうして言うことを聞いてくれないの、だなんて本当に傲慢なのだけれど、彼に対してはそういう気持ちで接することも多くなってしまう。それで、思い通りにならず失敗する、時間に遅れる、また早くやってしまいたいのに終わらない、片づけて綺麗にしておきたいのに汚される、散らかされる、そういうことの積み重ねでイライラが募る。根底にあるのは、失敗を恐れる自分なのだろうなあ

 

そうして、今でさえ「思い通りにならない!」とイライラして爆発しているのに、これからこの世で最も思い通りにならない人間というものを生み出すのだから、本当にわたしはどうなってしまうのだろうと、戦々恐々としているのだ。もうたぶん、大変なことになってしまうのだろうなあ(遠い目)

 

そのためには、まず自分の根底にある自己肯定感の低さにメスを入れていかなければならないと思っている。もう臨月でいつ生まれるか分からないけれど、生まれるまでに出来ることはしておきたい。今日実母が我が家にきて、やっぱりわたしの中で引っかかることがいくつかあった。それを、忘れないように書いておこうと思う

 

まず、彼女(実母)の言動や考えで、わたしがカチンとくるものはなんだろうか。カチンとくる、というか違和感というか。たぶん、わたしが自分の自己肯定感を上げるために禁止していることだとか、そういうことに触れているから気になるのだろう

 

ひとつは、他人の外見に関わることを言うこと。これはもちろん、彼女だけに限らないのだけれど、こうした発言って幼い頃から聞いていると自然に自分にも刷り込まれてしまうと思っている。彼女が外見のことを言うときは、例えば赤の他人のことをブスだねえと言ったり、わたしや妹のことを太ったと言ったり、そういう感じで、まるで息をするようにそういう発言をする。彼女が他人をそうやってジャッジするのは、自分のなかでコンプレックスや不安な要素があるのだろう。自分はあの子よりかわいいだとか、痩せているとか、他人を軸にして比較して、安心したい。他人と比べることでしか、自分を評価できない、のではないかと思っている。わたしがそうだったから、余計にその気持ちは分かる。だからこそ、わたしはそれに気付いてそこから抜け出すために戦っているからこそ、彼女のその言動にカチンとくるのだ

 

例えば今日言われたのは、子供生まれても大して体重落ちないよ、とか。12月に友人の結婚式があるのだけれど、そんなに太っちゃって着る服ないねえ、とか。家族だからこそ言える、と思っているのだろうけれど、相手を馬鹿にしているとしか思えないようなこの言動には、正直呆れている。それでいて、我が家にきて彼女が主に主張するのは、食事はほとんど食べない、みたいなこと。朝ごはんは食べないとか、夕飯はおかず少しと野菜だけ、とか。あなたもそうしなさい、なんてことは言わない。ただ、存外にだからわたしは太っていないのよ、と言いたいのかしら、と思っている

 

客観的な見た目の話をすると、母はそこまで痩せていない。彼女が若い頃(20代)はガリガリだったという話をよく聞くが、それが栄光の時代だったのか、その頃の自分に何か強い思いがあるのか、そのあたりはよく分かっていない。現在の母はどこにでもいそうな普通のおばちゃんだ、痩せても太ってもいない。それでいて、とても痩せている彼女の友人のことは、あの人は痩せすぎ、もっと食べなきゃ病気みたい、だなんて言ったりする。どっちにしろ、他人の見た目や体形について評価を下したいのだ。そうすることで、自分が優位に立っているような気になるのかなあ

 

あと、わたしの客観的な見た目の話をすると、普通だと思う。妊娠してから体重は5キロほど増えているけれど、それほど太りすぎてはいないだろう。もともとぽっちゃりしていたので、自分がぽっちゃり系だという自覚はある。でもわたしより痩せている人も太っている人も世の中にはたくさんいるから、そんなに気にしていない。それこそ超肥満体形、でもあれば母の言うことも多少聞く耳を持とうと思うが、そういう訳でもないのだ

 

そう言えば、実家にいた高校生までの期間でも(小学生とか中学生とかの頃から)母に太っているとか痩せた方が可愛いとか、そういうことを言われながら育ってきたので、20代のときはわたしは太っているとなんとなく当たり前に思っていたりした。刷り込みって感じだなあ。そのあと社会に出て、もっと客観的に自分を見られるようになると、今まで彼女に言われてきた言葉について疑問を覚えるようになったのだ

 

今は、太っているとか痩せているとか、小さなことで他人を評価して、つまらないなあと思っている。健康であれば良いんじゃない?という感じ。だからこそ、久しぶりに会った母親がまだそんな基準で自分や周りを評価しなければ生きていられないような人間なのだ、と思ったら、ひどく落胆したのだ。わたしにだって理想の母親像がある、それは、彼女ではない。母親って、もっと尊敬できる存在なんじゃないの?と思ってしまうし、まだそんなこと言って生きてるの?と思ってしまう

 

そうやって他人と比較して優越感に浸って、人を馬鹿にして生きているのって、つまんない人生だね。と、ある意味わたしも彼女を馬鹿にしているのだと思う。だからこそ、彼女の自己肯定感が低く、わたしの自己肯定感も低いままなのだろう

 

結局のところ、わたしが嫌だ嫌だと否定するその要素を、わたしはそっくりそのまま引き継いでいる。彼女がわたしを太っていると馬鹿にするように、わたしは彼女を他人を評価することでしか生きられないつまらない女だと馬鹿にしているのだから

 

鏡、なんだなあ、と思う

 

このままでは、なりたくない母親と同じ人間に、どんどん近付いて行ってしまう。それに対して、すごく危機感がある。だからこそ、この母が我が家にいる1ヶ月で、なんとか自分の根底にあるブラックな部分を認め、許し、もっと生きやすくなりたいと思っている

 

まあでも、口で言うのは簡単なのだ。出来ることならもうやっているもの。それが中々出来ないから困っている

 

でも、こうして文章に書くと形のなかった心の中のモヤモヤがだんだん整理されているような気もする。やっぱり、わたしは母のことを馬鹿にしていたのね、っていう感じで。陣痛がくるまでに、こうして感じたこととか、どうしたいとかいうことを書き溜めておこうと思う。頭の整理が出来れば、少しずつ動いていけると思うから

 

さて、明日からどうなることやら

 

今日も陣痛はきませんでした。いつ生まれてくるのかなあ