私の月記帳12月
仲間のブログなるページが折角設けられたのに書き込みが少なく、残念に思い「ならば」と気負い込んで毎月の身辺雑記を書いてきた。
それが1年も続くとは思わなかった。いつ投げ出すかわからないのでこのことはだれにも伝えていない。1年を過ぎてみると、内容はともかく継続した努力は認めて欲しいような気がする。
年の瀬はあまり遊び歩かず、正月を迎える雑事に勤しむことにしている。だが自分の関心事となると別だ。読売新聞の芥川喜好編集委員が連載「時の余白に」に画家平賀敬を紹介する文章が載って、私も以前「現代の絵師・平賀敬」というエッセイを書いたことがあり、これを読みコピーした知人が湯本の同美術館を訪れ、夫人に読んでいただいたことがあったのを思い出した。幸夫人からお礼の葉書が届き、大事にしてあったので読み返して懐かしくなり、3日、出掛けてみた。この日まで「敬さんに逢いに来ました秋日和」という企画で平賀敬の仲間の作品の展示があり、幸夫人は来客の応対で忙しく、ゆっくり話せなかったがその分、じっくりと野心的な作品の数々を鑑賞した。
十代の頃に関心を抱いた美術界で活躍した画家の名に触れると、つい現況を知りたくなる。池田龍雄もそのひとり。岡本太郎美術館で「池田龍雄アバンギャルドの軌跡展」を観た。画家自身が若かった頃の、混沌とした時代を告発した作品に、感慨をもってしばし魅入った。
定例の一六夜会は久しぶりに高杉氏が出席され、家康の小田原攻めに関する知られざる話題で盛り上がり、有意義な時間を過ごした。
師走といえば「忠臣蔵」。映画『最後の忠臣蔵』を見た。子供のころの東映の時代劇の影響からか、忠臣蔵が好きだ。講談や浪曲で義士銘々伝もよく聞いた。だから公開を楽しみにしていた。この映画のどこまで史実かわからないものの十分楽しんだ。出演した俳優が素晴らしい。
また、県立歴史博物館で『浮世絵☆忠臣蔵描かれたヒーロー』展にも出掛けた。歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の舞台を浮世絵にしたものの展示。版画の技術に驚嘆しつつ、興味深く鑑賞した。
二度目の五十三次も年内の目的地丸子に予定どおり到着。名物とろろ汁を食す。つまみの煮たむかごがうまかった。
歳の瀬も押し詰まった28日、30年来の付き合いがあった水産会社の社長が亡くなった。余命3ヶ月と伝えられ、本人はすい臓がんを知らないままの3ヶ月目だった。享年74歳。彼女は15年前に交通事故で急逝した夫の後を継ぎ、事業経験のないまま、社長に就いた。それからの15年は苦労の連続だったと思う。何かと相談を受けたが、たいして力添えできなかった。しかし、経営上の悩みを打ち明ける相手が欲しかったのだと思う。ホテル等に魚介類を卸していたが、ここ数年、景況が悪化して、6月に廃業を決意して半年。通夜では読経を終えたお坊さんが、故人をしのんで語りながらしきりに涙をぬぐっていた。お坊さんが泣くのは初めて見た。これも故人の徳なのだろうか。院号が就いた立派な戒名は多分寺のはからいだったのだろう。
さて、1年ぐらいはと、ちょっとした気まぐれに書き始めた月記帳。いよいよ最終となった。このページの存在が知られていないから読者もほんの数名に限られる。でも、読んだよと声を掛けられると嬉しかった。続けられた自分を褒めてあげたい。誰かにたすきを繋げられればと思う。
明日は元旦。毎年、早朝に飯泉観音と近所の神社を参詣して1年の無病息災を祈り、穏やかな新年を迎える。我が家の恒例の新年会は3日である。姉妹夫婦、甥や姪、またその夫婦、娘夫婦や娘婿の両親等、幼児を含め約30名が集い、賑やかな宴会となる。年毎に来客が増えるのが嬉しい。8月に生まれた孫の顔を見るのも久しぶりだ。弟も休暇を取り帰国するので前日から来るという。大いに飲むつもり。健康に感謝。(克)