5月

東日本大震災の日からしばらく出掛けるのを控えた。参加予定の行事が中止となったり、見たかった展覧会も行く気が進まなくなってしまったからだ。あまり自粛ムードが進展すると国の経済が衰退し、長期的には財政を通じての被災者への支援が先細りになることが頭の中で理解できても、あの悲惨な映像を繰り返して見ているとつい外出を抑えてしまう。

5月になって娘から『岡本太郎展』の招待券を貰った。岡本太郎の作品はこれまで沢山見てきたが、国立近代美術館での展覧会となると規模も大きく、彼の集大成が見られると思い、久しぶりに出掛ける気になった。彼の彫刻は発想が豊かで見ていて楽しい。一方、絵の方は「芸術は爆発だ」というものの、四角い画布の中で原色の絵の具が非定形に塗りたくられただけの、理念や感動とはほど遠い自己満足の世界というのが率直な印象だった。  初期の“森の掟”や今回展示は無かったが“重工業”などに見られたような野心作が晩年に無いのが寂しい。ただ作品の数から、彼の制作に掛けた気迫と情熱には敬服した。若い入場者で溢れる会場を出て階上の常設展に廻った。静かな会場で近代の名作が俯瞰できてここに来るとホッとする。

一度出掛けると億劫でなくなるのか、都立現代美術館『クロニクル47-63・アンデパンダンの時代展』にも足を運んだ。戦後、日本にはアンデパンダン展が二つあり、無鑑査だったため、芸術を目指した若者が表現の自由を求めて可能性に挑戦した。当時、私は直接見られなかったが、読売新聞が主催した方は、期間中、話題作が夕刊に紹介され、見るのが楽しみだったのを覚えている。それらの作品のいくつかが展示され、50年経っても既製美術界への反抗精神が色褪せていないこと確認した。

平塚美樹館『画家たちの20歳の原点・展』は明治以降、著名な画家の二十代前半頃の作品ばかりを集めた異色の展覧会。恵まれた環境で長寿を全うした画家も多いが、貧困のなか夭折した画家たちも多く、境遇を紹介したプレートについ目がいってしまう。この展覧会はいくつかの美術館の学芸委員の企画によるもので、彼らの苦労に賛辞を送りたい。

国立劇場で歌舞伎を観た帰り、渋谷の松濤美術館『牛島憲之展』に寄った。岡本太郎とは真逆な作風である。描く対象に画家の感情移入があって、淡く静謐な画面に仕上げられ、安らぐ気がする。渋谷のスクランブル交差点に戻ると「ここは一日32万人が通るらしい」と妻が言う。人混みを見ていると、あの災害が他国の現象のように思えてくる。(克)


4月

15年前のこと、浅草で遊び、船で川下りを楽しみ、竹芝に着き、仲間と別れ品川駅に向かったことがある。ある画家の展覧会を渋谷のデパートで観るつもりだった。駅前広場の特設会場でイベントをやっていた。何かと覗いてみたら水俣病の被害者等を写した写真展だった。公害事件があったことを知っていても、遠い九州での企業と住民の争いであり、一連の報道を傍観者の眼で見ていたに過ぎなかったが、そこに展示された写真は衝撃的だった。

高度成長の時代、企業は生産性を重視し、環境破壊をしても、その罪は雇用と地域経済への貢献度に減殺されてきた。その結果、このような公害事件は各地に多発した。企業が被害者への賠償責任を問われるようになると、さすがに類似した事件は無くなった。水俣病の補償問題が和解したのは最近のことである。事件発生から何年経ったのだろうか。その間に多くの被害者が亡くなっている。関連記事を読むたびあの写真展を思い出す。

似たような事件が明治時代にもあったことを知り、銅山が出す鉱毒から住民を守るため国と企業と戦ったひとりの男に興味を抱いた。男とは、経営不振により、わずか半年で廃刊となった下野新聞を立て直した田中正造である。

日清、日露戦争遂行のため急増した銅需要を賄うため、古河市兵衛、渋沢栄一、志賀直道らが、掘り尽くしすでに廃坑となった足尾銅山を再度、採掘した。渋沢と滋賀は撤退したが、古河はついに新鉱脈を見つけ、事業として成功を収めた。周辺の町は隆盛を極めたらしい。だが鉱毒によって空気は汚染され、木立は枯れ、草も生えぬ土地に変貌した。渡良瀬川は洪水のたびに流域の田畑に鉱山の溜池からの鉱毒を流した。魚は死に、人は病に苦しむ。

田中正造は地元から選出され国会議員となり、鉱害防止の立法を叫ぶが、戦意高揚ムードに抗しきれず、議員を辞職し、ついに天皇陛下に直訴して拘留される。彼は73歳で胃癌により没するまで、足尾銅山の鉱害と壮絶に戦い続けた。葬儀には5万人が弔問したという。当時、もし彼の訴えが顧みられたなら、戦後の公害事件は大きく様相が変わっていたに違いない。

小田原ゆかりの史跡をめぐる会で、彼の墓碑が建つ佐野厄除大師(惣宗寺)を訪れるにあたって、横浜で開かれた田中正造展で買い求めた、下野新聞社創刊130年記念出版『予は下野の百姓なり・田中正造と足尾鉱毒事件』と、地元の有志による『赤貧の洗うがごとき心もて/足尾・渡良瀬の民衆と田中正造』を改めて読み返した。父が足尾銅山で働いていた作家立松和平の『毒・風聞 田中正造』もいつか読んでみたい。

東京電力の社長さんも、社員の皆さんにもどれでもいいからぜひ読んで欲しい。(克)


           第5回一九悠会・収支報告

於:「いろは」H23-4-13

    収  入                支 出

会費7000x23名=161、000      会食費  133,056

塚本さん 寸志   50,000

       小計A 166,000       小計B  133,056

差引=収入-支出=A-B=32,944残金

残金は郵便代や写真代に充当し、残りは次回繰越金とします。


○当日、東北地震義援金をお願いしたところ、¥26,600

  集まりました。さっそく翌日(4/14)、マロニエ、日本赤十字社

  神奈川支部に持参しました。


以上 幹事 殿塚