3月

東北関東大震災のあった日、東海道五十三次を歩いていた。日本橋からも、京都からも27次目となる袋井を出発して、磐田で昼食を摂り、午後天竜川に沿って渡し場まで歩いていると、なにやら道端でおばさんたちが騒がしい。尋ねると地震があったという。そういえば歩いていて何か変だったと仲間が言ったが、私はまったく気付かなかった。外出のときは必ずラジオを携帯している。現地の周波数に合わせてあり、すぐにスイッチを押した。アナウンサーは「15分後の3時頃に津波が来る」と繰り返し避難を呼びかけている。時間が経つにつれ、想像以上の規模の地震であったことがわかり慄然とした。この日の目的地点のJR天竜川駅に着くと電車は止まっていた。駅前のタクシー営業所には既に空車を待つ幾組かの客がいたが、しばらくして車が来た。運転手は、休み明けで自宅にいたのを呼び出されたようだ。まだ時間が早く、浜松のホテルに運良く宿泊できた。鉄道が全面ストップしていて駅には人が溢れ、帰宅時間になればビジネスホテルも多分満室だったと思う。構内の寿司屋で食事をしていると、出入りする客は皆、大きな活字の号外を手にしていて思わず目を奪われる。我が家は妻も二人の妹の連れ合いも東北がふるさとで、親戚も多い。妹家族は茨城に、姪は仙台に住んでいる。妻の甥の子供も仙台で在学中だ。妻に電話を入れるがまったく通じない。ホテルに戻りようやくそれぞれの無事が確認できた。  

翌日、歩くか帰るか意見が分かれたが、余震で新幹線が動かなくなると帰れなくなるので小田原へ戻った。

それからの毎日、行楽にかかわるスケジュールは全て封印し、新聞とTV画面を見て過ごすようになってしまった。何もできないのがもどかしい。わずかだが家族と義援金を郵便局から送ることにした。いつか関東南部地震、県西部地震、東海地震が来るだろう。富士山だってわからない。被災したとき、生活を再建できるような保険が国の機構でできないものだろうか。行政に頼るだけでは心もとないことがわかった以上、せめて生活物資と仮設住宅ぐらいは自力で備えておきたい。甚大な自然災害は数年の周期があり、被災地も限定されるから、全国で共済システムを活かせばいい。土地は経営不振のゴルフ場を借り上げれば済む。運営はボランティアが望ましい。

明日は4月。桜の開花情報を耳にすると、活力が戻るような予感がする。(克)