一番最後に手に入れたアルバム。

東京以外で置いてるところを見たことがない

いま持っているものも、CD BOXのものをわざわざ買って揃えたものだし… キョロキョロ






(先に書いておきますが、割と長い上に、本人も考えをまとめきれてないところがあります。)







名盤と名高いのに、何故か見当たらない作品。

しかも聴いてみても、それまで聴いていたどの作品とも “質感” が違うので、聴き馴染むまでに個人的に時間がかかってしまったり。



その“質感” なのだけれど、初めはプロデューサーの有無に関係していると思っていたのです。

このアルバムはこれまでの他のアルバムと違い、外部プロデューサーである宮田茂樹さんが参加していて、その下で練り上げられていったと言う経緯があるのです。

とはいえ、そもそも全員が作詞作曲プロデュースができるという化け物集団なので、外部のプロデューサーは必要なかろう…と言いたい気持ちもあるが、「船頭多くして山に登る」という言葉もあるからは、ちょっくら道案内をお願いしたい…ということもあったのかと思っていたのです。

そしたら、シンプルに売れるものを作りたかったと書いてあるものもあって、一筋縄ではいかないな…と思っていたりします。滝汗



さて、そんな宮田さんのもとで行われたプロデュースで目指されたのは、ブラックミュージック路線

マイケル・ジャクソンよろしく、リズムを重視しつつ、リフレインを効かせながら、グルーヴを作っていく、というイメージ?

そのほかにも、ゴスペルのような声の重ね方が見られるのもこの作品の特徴。

そしてそれは結果として、ポップスとしてのシンプルな形を求められることにもなったと思うのです。



さて、ボクがここで思い出すのは、明治初期に作られたという、輸出品としてのカッパのミイラ

もちろん、正真正銘のカッパではなく、さまざまな動物の骨や皮を継ぎ剥ぎ加工して作り上げたものなのだけれど、その完成品はなるほどカッパのミイラに見えると言う代物。ニコニコ

そもそも MOONRIDERS の音楽、と言うよりも音楽だろうとなんだろうと、何かの引用をしつつオリジナリティの高いものを作り出すと言うのが一般的だと思うのです。

いえ、もちろん真の天才もいますが、それはかなり例外だと思いますし、その方々もまるで一から作り上げるってことはないと思うのです。

ただ、殊にこのバンドに至っては、海外の音楽シーンとの同時性を意識しながらも、そこに囚われない音楽性を引用しながら完成させていくので、それはそれは複雑な作りとなり、かつ本人たちですら(というか当人だからこそ?)作品として出来上がったものが、「凝りすぎていて大衆性を持っていないのではないか?」と言う考えにまだ至ったのかと思うのです。

というわけで、プロデューサーを招きつつ、ブラックミュージックという補助線を引きながら、凝りすぎている部分を削ぎ落として、大衆性のあるものを目指すと言うところを志向したのかなぁと思うのです。



が、その “オリジナリティ” が、音楽シーンの流行りだったり、引用で練り上げられたものではなく、“ホンモノ” の部分(天才性、という言い換えもできる)を発見したのがこのアルバムのような気がするのです。



既存の動物の継ぎ接ぎで作ったカッパの複製の中に、ホンマモノのカッパの魂が入っちゃってるやん…みたいな。



さて、始めの “質感” の話に戻ると、このアルバムの “質感” の違いの正体はそこから感じていたのではないかと思うのです。

もし、『青空百景』を通らなければ、それまでのアルバム同様、海外の音楽シーンを意識しつつも、カッパのミイラを作り続けていたと思うのです。

ただ、突発的に作らなければならなくなった『青空百景』は、その突発性ゆえに、MOONRIDERS 自身が持っていたアイデンティティを図らずも顕在化してしまったのではないか。

もっというと、“日本のポップス” の原型というか、あけすけにいえば “J-POP” の大元となる形というか。



で、ずっと思ってたことなんですけど。





果たしてこのアルバムは、ブラックミュージックのアルバムかと。





今までの作品は、海外からの影響が如実にわかるモノだったのだけれど、この作品はどこか染まりきれてない、違和感がある。

ぶっちゃけ、日本の “歌モノ” とブラックミュージックが相容れきってないのではないか、ということなのだけれど。

それは、「“J-POP” って結局なんですか?」というところまで、個人的には話が飛ぶのですが、その源流は確かにここにある気がするのです。



“歌モノ” でなければ売れない邦楽のなかに、いかに “洋楽” のリズムを入れるか

もしくは、日本語で別のリズムを作り出して、かつグルーヴをだすのか。

なんてところに、行き着いてしまったのだ。



このように、結果的にシンプルに作っていったことで浮かび上がった、どうしても相入れない日本語と洋楽のリズムの問題は、やがて MOONRIDERS のグルーヴのひとつとして、このあとのアルバムで完成されていくことになる、という流れなのではないかと、今の時点では考えていたりする。





ま、所詮は “アマチュア” の
考えていることですが。








さて、そんななか開催されたアルバムは全体としての印象もどこか冷たく硬派

コンピュータが導入された『マニア・マニエラ』、『青空百景』ではどことなく残っていた熱さはどこか息を潜め、それぞれの楽器が(ボーカルを含めて)バラバラになっている印象すら持つ。

人力プロツールズ?ともいうべき、配置の美というか、変な話、楽曲のアレンジ感覚ではかなり現代っぽい。



あと、全体的にトランペットが鳴り響いているのが面白いところ。

武川さんのバイオリンパートが本当に感じられないんだよな…。




そんな、『Amateur Academy』の今回は概要だけ。

パート2では、一曲ごとについて語ろうと思います…というか、始めはまとめて書いていたのだけれど、書いてる途中で印象が変わりすぎたというのが実態なんですけどね。滝汗

言葉にするのって、これだからめんどくさいっすよね。





ま、そのぶん楽しくもあるのだけれど。