今日は終戦記念日 | マンション管理組合コンサルタント ㈱CIP須藤桂一の日記

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今日は終戦記念日。東日本大震災で亡くなった方は約1.5万人。第二次世界大戦では310万人。東日本大震災と比べるのは変だけど、これほど大きな大きな犠牲を払った戦争や原爆の経験を忘れてはいけないと、今朝の日経新聞のコラムを読んで、改めて考えさせられた。

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 「熱涙滂沱(ぼうだ)として止まず」。きのうの小欄で触れた昭和20年8月15日の内田百間の言葉は、当時の多くの日本人が玉音放送に接したときの偽りない姿だったろう。「どう云う涙かと云う事を自分で考えることが出来ない」と百間はしたためている。人々はただ、泣いた。

▼それは無念の涙だった。悔恨の、憤怒の涙だった。幻滅の、虚脱の涙だった。たとえば「昭和萬葉集」の第7巻は終戦を詠んだ歌を集めているが、そこにも涙があふれている。「父母(ちちはは)の泣けば幼き子等までがラヂオの前に声あげて泣く」高見楢吉。この巻の題は「山河慟哭(どうこく)」という。8.15体験は、かくも激しかったのだ。

▼慟哭は、戦争で死んだたくさんの人々の痛苦と響き合っていたに違いない。死者およそ310万人。当時の人口でみると、じつに25人に1人が戦場で、あるいは戦禍にたおれて亡くなった。国民のこれだけの命を奪い去り、死を日常の風景とまでした昭和の戦争の過ちは、やはりどれほど省みても過ぎるということはない。

▼68年たった。8.15のたくさんの涙を超え、日本人が大切に重ねてきた歳月である。戦後という時代を思うとき、その出発点の涙を忘れてはなるまい。さまざまな矛盾をかかえつつ「戦後」はずしりと重いのだ。「昭和萬葉集」からもう1首引く。「新しき世をし創らむと若きらがひたぶるなりしその貌(かお)を見よ」羽場喜弥。