明治維新の胎動を起こした、不世出の指導者、吉田松陰は、
「至誠」と「知行合一」を抜きにして語れません。
「至誠」とは、読んで字のごとく、
極めて誠実なこと、真心(まごころ)・誠を尽くすことです。
至誠、天に通ず。
まごころをもって接すれば、
それは天まで通じて、
必ず人を動かすものだ。
と孟子は言いました。
また、安岡正篤という人は、
天地が天地たるゆえんのの本体、本質、これを誠という。
別の用語で言えば真実である。
この誠という文字も非常に考えられて造られている。
偏の「言」は「事」という文字で、
その言(こと)(事)の端(は)が言葉だ。
要するにこれは事実ということである。
創造、クリエーション自体を言という。
創造の営みによって創り出されるものが言である。
その端、先端が言葉である。
だから人間が成長する始まりは言葉だ。
モノを言い出すというのが成長の始まりです。
したがって、生命の自然の発言だから、
言葉は「言霊」である。
その中には魂がある。
言、言葉、これを完全に発達させた人間生活、
人間精神、人間人格、人間性というものは美しい。
言い換えれば「言」を完成すること、
それが「誠」という文字になっている。
ちょっと難しかったかな!?
でも、そこには、軽薄さや姑息な心は微塵も存在しません。
そして、人を信じ、他人を活かすためには、
自己犠牲をもいとわない、
高尚で純粋な心を松陰は持っていました。
獄中で書いた遺書ともいうべき「留魂録」に、
「私が死んだのち、もし同志の諸君の中に、
私の真心を憐れみ、
志を受け継いでやろうという人がいるなら、
それはまかれた種が絶えずに、
穀物が年々実っていくのと同じである」
と書き記しています。
天下国家のためには自らの死を持ってでも、
同志に後世を託す、
その「至誠」は人間として究極の美学であると
深く感じ入ってしまいます。
また、松陰を象徴するもう一つの言葉である「知行合一」
松陰は常々、門下生に
「学者になってはいかぬ。
人は実行が第一である。
学んでも行動しなければ社会の役には立たず、
学ばずに行動すれば社会に害をもたらす。」
とても重たい言葉です。
松陰は29歳でこの世を去りました。
その類まれな行動力に、
「至誠」が伴っていたからこそ、
志ある者がどんどん感化されていったわけです。
そしてその至誠は、祖国、先祖を愛し、救国済民のために、
国柄を生かし正しい国のかたちをつくろうとする思想の
裏付けがあったことは言うまでもありません。
史跡巡りをしながら何ともいえない幸福感や
気持ちの高ぶりを感じ、志を固めました。
リーダーというものは「志の高さ」によって
価値が決まるのであって、
今の地位や過去の業績、年齢、
ましてや貧富などによって価値が
決まるものではありません。
あんな小さな萩市のはずれにある、
小さな小さなほったて小屋が「松下村塾」です。
そこから、明治維新が動き出したのです。