piccolinoママが参ってしまいそうだったから介入し、現在に至るわけですが、
どうやら その介入がスッカリpiccolinoママを甘やかしてしまったようで…。
 
piccolinoママが休みの日はワタクシは当然関与しませんけれども、
piccolinoママがしごとの日はワタクシもしごとであろうと、
練習や趣味の時間を割いてpiccolinoの応援を行っております。
 
そうしていても『虐待』の2文字がチラつく場面にいることもあるほどに、
piccolinoに対するpiccolinoママの言動が好ましからざるものになっております。
 
① 自分のペースで動けない
② 趣味を楽しむ時間が取れない
③ しごとで疲れて帰ってきているにも関わらず、疲れる案件(育児)が待っている
 
即ち、ストレスを解消する場面がpiccolinoママにはない。
 
一方でワタクシにとってpiccolinoは実子ではありませんから、
意思疎通が難しくなればサッと切り上げて次のタイミングを狙ったり、
ジツのない言葉で褒めてみたり、宿題の直しにはpiccolinoが理解するまで付き合い、と
障害特性を踏まえながら応援しているので、あんまり感情的になることもなく。
 
薬効がキレてぶっトびながらの音読を聞いてたときなぞ、
流石にミュージカル調な読み方で…読経のようなイントロから抑揚のある文章。
台詞を妙な旋律で謳い上げ、そしてフェードアウト…な音読は
 
me :「ごめん。生理的に無理。帰ります」
ピコ:「ダメダメー!オバチャン待ってーッ。帰っちゃダメーっ」
me :「さよなら。ボンニュイ」
 
自宅に戻り、piccolinoの評価表を纏めていると隣家からドカドカと走ってくる。
 
ピコ:「オレはオバチャンから音読を聞いてもらいたい!」
me :「え…もう音読の分のハンコついたよ?」
ピコ:「でも聞いてほしい!」
me :「申し訳ないけど、オバチャンはミュージカルが嫌いなんでスー」
ピコ:「ちゃんと真面目に読むからーッ!聞いて聞いていま聞いて聞かなきゃダメ」
 
改まって聞かずとも、piccolinoが がまくんとかえるくんの『お手紙』を
ほぼほぼ完全な形で暗記していることを、これまでの彼の読み方から知ってはゐる。
 
ところが、piccolinoママはそのことを知らないのです。
そうして「なんで(暗記していることを)ママに教えないの!そういう子、大っ嫌い!」
自己申告しないことを責めておりましたが、暗唱は自己申告制でしたっけ??
 
自分の持てる能力でできることを、いちいち親に報告するコがどれだけいましょう。
 
例えば、コレを読んでいる方が
「わたし、おしりを自分で拭くことができるの」
などと、わざわざ吹聴してまわるかどうか。
 
妥当なたとえではないですが、つまりはそーゆーことだと思うのです。
 
ワタクシが自分の練習時間や趣味の時間を割いてpiccolinoに付き合うのは、
piccolinoと過ごす時間は「いま」だけで、数年もしないうちに
恐らくは見向きもされなくなるわけですよ 。
 
そんな こどもと一緒に過ごせる時間をpiccolinoママときたら…。
 
piccolinoママにしても趣味を満喫する時間は「いま」しかないでしょうし、
自分の時間を大事にしたい気持ちもわかるし、piccolinoママを完全否定する気はない。
 
折角の親という業務を。
この若干お手伝いが必要な児童とココロとココロをつつきあって過ごす時間を。
共に学んで成長していこうとすることなく、どっかに預けて自分はラクしたいって。
そういう発言を耳にするたびに「あと何年でもない貴重な時間を…」
ヨソ者ながら、とっても勿体無く感じるのでありますね?
 
ワタクシも実子じゃないから、割り切れている部分も大きいけれど、
少なくともpiccolinoと関わってるから練習に行く時間の捻出に困ってることを
piccolinoにはもちろん、piccolinoママにも言わないですし、
多少それはストレスではあるけれど、児童の将来先の見えてる自分の泳法じゃ、
ぜーんぜん比べものにはなりませんからね?
 
育児は取り返しがつかないけれど、泳法は取り返しがつかなかったらソコで終わるだけ。
piccolinoママのように「あんたのせいで今日も録画が観れなかった」
piccolinoを責めるpiccolinoママを見るたびに
そいやワタクシも録画した番組が観れてないなぁ( ・ω・)と思い出す。
 
録画よりリアルタイムを大事にしたほうがいいような気もするんだがなぁ…??