精神病院で退院支援等をしている友人が、急性期病棟に異動になって4か月になろうか。
自傷他害の恐れのある状態で入院してくる人々を、3か月後には退院している段取りを組む。
そういう仕事を「やりがいがある」と感じるか「キツイなー」と感じるかは、捉え方次第。
急性期病棟に異動になると聴かされてから、新しい部署・環境に慣れるのにも時間が要るだろう。
年間を通じてか、季節的なところで波があるかどうかは不明だけれど、
当面はテンテコ舞いだろう、と勝手に解釈して、その友人に連絡をするのを控えておった先日。
仮に季節的なものが関係したとしても、ボチボチ落ち着いたかなー?と思って、近況をお尋ね。
スルト
「お昼を食べる時間もトイレに行く時間も取れない。毎晩帰りも遅い」って、
どんな労働環境なんだ、ソレって…て思いますわな。
病院という職場はチームで仕事をするんじゃないの?と思っていたワタクシには衝撃的。
マサカ1人で現場を回しているわけじゃないよねぇ??と思い、本日関係者に確認。
そしたら、友人のホカにモウ1人、同じ仕事をする人がソコにはいるハズ、とのこと。
友人はもともと幾つか疾病を抱えており、その調子が芳しいわけでもないところへ、
マサカの「急性期病棟勤務辞令」というところで、辞令がおりた当初は激しく動揺してたほど。
心身の状態が思わしくないところへ、トイレにも行けない激務。
友人が別な病気になりはしないかと気が気でないものの、ただ傍観するしかない外野という立場。
ワタクシが友人の代わりにトイレに行ったって、友人がスッキリするわけでもなし。
だってそうでしょう?
ワタクシがイモを食べたら、あなたのオケツからプッとおならが出ますか?って話。
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話はいきなり変わるのですが、昼休みにチト用事があって校長先生に電話をしたのですね?
用事を伝えながらも、そこにチョイチョイ冗談を織り込んで話してたので、
通話をしながら笑ったりする場面もあったのでございますですよ。
それを学校の友だちが聞いていて。
友:「なんか、先生って聞こえましたけど、先生と話してた割に楽しそうでしたね!
話し方の感じからして、ここの学校の先生じゃないですよね?」
私:「あー…うん。水泳の先生だわ」
友:「へぇーッ。その先生はyutahaさんと同じくらいの(年齢の)方なんですか?」
私:「いや?今年72歳になるんかな?なったんかな??」
友:「めっちゃ、じーちゃんやーん。えー?!そういう世代の人とも普通に話せるんですかぁ?」
私:「そりゃまぁ、用事があれば話しますわなw」
友:「でもなんか、友だち同士っぽい感じっていうか。70代のおじーちゃんとの話で笑えます?」
私:「笑ってたっけ?」
友:「めっちゃ楽しそうに声出して笑ってましたやーん」
私:「ナニで笑ったかは覚えてないけど、軽くイジラレたんだわ。ソコで笑ったかも」
友:「「いやーん。おじーちゃんにイジられても、ウチなら絶対笑えないわー」
友だちの中で、電話の相手が70オーバー=おじーちゃん、というところに注意がいったのであろう。
師匠と良好な関係性を維持することが出来ている、というところはthroughされた模様。
これも捉え方次第ですよね。
おじーちゃんと電話、と解釈するか、フランクな師匠と電話、と解釈するか。
コップに半分水が入っている状態で「半分も水が残っている」と思うか
「半分しか水が入ってないじゃん」と思うかの違いに似ている気がする( ・ω・)
リフレーミング次第で、思考はいくらでも化けるなーって思った事例2つでございました。
【リフレーミング:大辞林より】
事実に対して与えている意味づけを変え、異なる見方でとらえ直すこと。
家族療法の中心技法の一つ。