キレイな亡くなり方だった。
昨日明け方、伯母が亡くなった。
トイレから立ち上がろうとしたときにバランスを崩し、
トイレ内の手洗いに頭部をぶつけ、そのまま意識不明。帰らぬ人となった。
顔を強く打っているので死に顔そのものがキレイだったわけではない。
(↑ 丁寧なエンジェルメイクのお陰でキレイにはなりました
90歳になろうかとしていたワタクシの祖母代わりでもあった伯母は、
身内が同居する息子家族の一世帯があるのみ。
ぼちぼち自力で動き回るのもキビシイと感じ始めたことから、
ことしの年始の挨拶回りのときには「来年はもう来られない」と言って回っていた。
そしてその後、財産の一切を息子に譲り渡した。
財産のことで揉める場面はない、ということもキレイだと思った。
亡くなる前夜、かぼちゃを煮たけれど、少し焦がした伯母。
力が入らず包丁が抜けなくて…と、包丁ごとかぼちゃを煮て家人に振舞おうとした伯母。
その伯母の通夜に行ってきたわけですが、会場が狭いのか知人が多いのか、
葬祭場が設けた席ではとても足りず、当然通夜ぶるまいの席も廊下にハミ出る始末。
お通夜だけ出て、通夜ぶるまいは遠慮致しましたよ( ・ω・)ノワタクシは。
しかし…。
なんですね、近年葬儀というと遺族側の立ち位置でしか経験がないため、
スッカリ呼ばれた側の対応というのを忘れておりましてデスネ 。
特にお焼香の場面において、毎度3回?2回??どっちだっけ??と悩むのですが、
今回座席の関係で、ワタクシ、マサカの焼香一発目!と相成りまして…。
ご遺族にお辞儀→ご遺体に合掌→焼香→ご遺族にお辞儀 コースで誤魔化したものの、
合っているのかどうかもわからなければ、ソコの宗派の遣り方もあるのか??と思うと…。
マゴコロは込めているので、いろいろダメでも勘弁して!
喪主さんは優しい方だから絶対許してくださるし、伯母は輪をかけて許してくださるよ。
などと、自分で自分を慰めるわけですが、遺族サイドだったときって、
そんなんイチイチcheckしてる精神的余裕もなにもなかったよなーッて。。
伯母は献体するので、どこかでまた世の中の役に立てたらいいな、と思っております。
3,000やった後で夜道を運転し、空調に線香、蝋燭と人の熱気に読経が加わり、
素敵に疲労してますが、久しぶりに化粧をした割に、顔は疲れませんでした( ̄∇ ̄*)ゞ
夫の葬儀のときに着た礼服がゆるゆるで、黒のパンツスーツで誤魔化そうとしたけど、
それも実は結構ゆるくて…急に礼服って言われてもねーって困ってたら、
いつ購入したのか覚えていない礼服を母が出してきて
「あんた痩せたから、大昔伊勢丹で買ったコレ、着れるんじゃない?」って。
腹回りと尻は詰まったのだけれど、胸が全然痩せないのでファスナーだけ手伝って貰う。
游ぐ練習をする前はワタクシ、ただただプールを歩くヒトだったわけですが、
それも亡くなった伯母がプールに毎日通って歩いてるんだーって話してたから。
伯母のその言葉と、近所のオバチャンの働きかけがなかったら、
そもそも水に足を入れるなんて発想はなかったと思われる。
伯母の死を通じて、改めて“おかげさま”で生かされていることを知った次第。