『天声人語』より


(略)
かつて米国の博物館が企画した原爆展は、地上の惨状を紹介しようとして
退役軍人らにつぶされた。担当者は「彼らは原爆投下を(爆撃機が飛ぶ)
3万フィートの高さから見ようとしている」と嘆いたそうだ。
(略)
ウラン型の「成功」に続き、3日後には長崎でプルトニウム型が試された。
科学者は核分裂のエネルギーを制御できたと喜んだが、最後は手綱を解いて
暴れるに任せるのが核兵器だ。実際、見込み違いもあった。
原爆の破壊力のうち、開発陣は衝撃波に重きを置いたとされる。
だから放射線と熱線の殺傷力を知って驚いた。
「起きたことは私たちの想像をはるかに超えていた」と。乾いた述懐に、
日本人として平静ではいられない。
(略)


うん…考えさせられるねぇ。。