「頑張れ」若しくは「頑張る」というコトバを個人的に好まない


突然何を言い出すかというと、こういう精神論法的な要素がそもそも苦手であるということ。


例えば“病は気から”とか申しまして、つらい病状に対して「気合が足らん!」と

病人をヤタラに叱咤激励する方、居ますよね…?

まぁ、そういうヒトは大抵大病を患ったことのない方に多いのですが

先日読んだ本に「『頑張れ』と言うだけではロケットは上がらないからです」とありました。


これには、なるほどなぁ…と思ったのですが、そういう『ファイトーー!( ゚ロ゚)乂(゚ロ゚ )イッパーーツ!!』的なものを

生来の性格として苦手としているワタクシにとって、先ず“頑張れ”や“頑張る”は無縁でございます。

や、言われることは多いんだけどサ( ̄∇ ̄*)ゞ


小学校3年の頃は坊さん若しくは尼さんになりたくて、お経を覚え

小学校5年には突如「印税生活を送りたい!」と雄叫びこいて

手近なところでエレクトーンという楽器を使い、打ち込み系の曲ばかり作り

中学に入ると連絡帳に8コマ漫画を連載する一方、授業の合間にオハナシを書いて

何故かこの2つは友人間で回し読みされ、オハナシに至っては担任の目にもとまってしまい

なにかの作文コンクールだかに応募するよう強く迫られたこともある。


…結局チキンなんで、応募するどころか一切を書かず締め切りが過ぎたのだけれど…


そうして、その後特別な目標もないままに、タラタラと興味の湧かなかった仕事をして過ごし

漸く最近になって、やりたい仕事が見つかり、その職業に就くべく学校へ行くことになったのですが

オノレの人生を振り返ってみて、全然努力すらしたいことがないのだな、と気づいたと申しましょうか。。


つらい思いも苦しい思いも哀しい思いも大変な思いもせず、

毎日ガツガツする気もなく成り行き任せに生きてて

それでいながら生活に行き詰まることもなくナントカなっているというのは

なんと幸せなことなのであろうか!と思うのでありますね?


や、実際はナカナカ風邪の調子が…とか、ちっこいのはありますけども

自分の人生が大きく変わるというような出来事なぞ、あるにはあったけど

それも自分の生活に組み込まれてしまえば、どうということもないわけで

こんなに山も谷もない、ゆる~い人生を送ってて、果たして良いのであろうか?

人生の総括のときに、このツケが来るのではなかろうか?など

若干ドギマギしながらも、今更身についた ゆる枯れな生活を改められるハズもなく

こんなに幸せでいいのだろうか?と小心者はフト心配になるのでありますのよ。