インゲンの胡麻炒めを作っていて
そう言えば
幼い頃
母がよく作ってくれてたなぁ
と思い出した
私は
母と暮らしていた頃の記憶
特に料理とか
それぞれの家族の好き嫌いとかが
すっぽりと抜けていて
逆に末の妹が
それをよく覚えていたりする
家庭での記憶が抜けているのは
中学から高校の間
いわゆる思春期と言う頃で
多分なるべく関わらず
外にばかり目を向けていた
向けようとしていたような気がする
それでも
料理の記憶は
時々
あ
これお母さんと同じ味だ
と
不意に蘇ることがあり
今のように
コンビニも
便利な冷食もない時代に
仕事もしながら
三姉妹のごはんを作る事は
本当に大変だったろうなぁと
今更ながら
有り難いなと思う
しかもわが家は
私や妹達の友達まで
学校が終わると立ち寄り
ごはんを食べて行くような
オープンな家だったので
例に漏れず大皿料理とか
ホットプレート料理も多かったけど💦
不思議な事もいま思えばたくさんある
魚の塩焼きは
ほとんど
タチウオの一択だった
あんまり他の焼き魚を見た記憶がない
青魚で蕁麻疹が出る体質を
母から受け継いでいたせいか
鯖とかイワシとか食卓に並んだ事はない
元々魚が苦手な私にとっては
よかったけど
未だに姉妹揃って
ダメだから
人生の半分は損してるんやぞ!
と
DANさんは言うけど😥
美味しいお肉で取り返してきたから
ええもん
と思ってる
しかし…タチウオだった
なぜだろう🙄
平べったくて
身がほとんど
ついてなかったりもするタチウオ🌀
それから
ハンバーグは大好きなメニューだったけど
嫌になるほど作るのが大変だった
なんのこだわりか
お肉は100%牛肉で
それがどれほど贅沢なことかは
大きくなって知ったけど
玉ねぎと混ぜる時のツナギのパン粉は
いちいち食パンをちぎって
作っていた
ほとんどそれは子供である私達の仕事
とにかく地味〜に
食パンの白い所だけをチマチマちぎる
耳は時々は食べてたけど
ほとんど捨ててた気がする
その時の食パンは
あくまでハンバーグ用で
白いところだけを使うんだと
思い込んでいた
出来上がった
まさに生パン粉を使って作るハンバーグは
しっとり柔らかで
ハンバーグを焼いたフライパンに
ケチャップとウスターソースを混ぜて
温めた濃厚なソースが
美味しかったなぁ
いろいろな事があったけど
ちゃんと食べさせてもらってきた
今みたいに
なんとかのツユとか
出汁とか
売ってなかった時代
お素麺食べるにも
おツユから作ってくれて
ショウガとか擦ってて
一度も食べる物がなくて
辛かった記憶が
私にはない
親がいても
食べることも満足にできず
耐えて
それでも信じて
力尽きた小さな命を思うと
泣けてくる
同時に
母のありがたさと
私自身が子供達にとって
ちゃんと
母親として生きてこれたのか
振り返ってみる
インゲンの香りを嗅いで
あれこれと思う午後
今日の
静岡は穏やかなお天気です
