今日の運勢は
何事も気負わない1日にしましょう
だそうで
ふと気負いすぎてた頃の自分を
思い出した


専業主婦歴12年だった私
次男が小学校になるまでは
諸事情により
家にいる選択肢しかなかった

それから薬局のレジパートさんを
皮切りに
某電話会社でのデータ入力
某卸会社でのオフコン入力
そしてコールセンターに8年

薬局での仕事は
自宅から徒歩10分
1日5時間と
子供が学校から帰る時間には
家にいれるように
それが絶対条件で選んだ

けれどその次のデータ入力の仕事は

最初は週3のコールの仕事で入った…
と思う
でもなぜか気づけば
とんでもない仕事を
任されて困った

何度も課長に
パートだし
毎日来ないし責任が重いからと
部署変えをお願いしたが
のらりくらりとかわされて
膨大な量のデータ入力を
できる範囲でいいからしてほしい
と言われた

今でも全然なぜなのかわからない
手が早いわけでも
パソコン能力があるわけでもない
なんで私だったのか?

ただその課長のもつグループの
人達にはとてもかわいがってもらった

できない私を我慢強く待ってもらった
こともしばしば💦

この仕事を始めた頃は
家事と育児との両立に本当
苦しんだ

なんとなくお役所仕事的な
雰囲気の残る職場
大手だけあって福利厚生は
バッチリで
残業代は30分単位でつく

つまり5時までの仕事を
5:29分までやっても残業代は
つかないけど
5:30までやると1時間分つく

どうせやるなら5:30までいなさいと
課長からよく言われ
別に仕事しなくても
お茶飲んでてもいいからって
差入れのオヤツ食べながら
待ってるような😥
部署の皆さんもそんな感じで💦

でも私はお気持ちは嬉しいけども
本当に早く帰りたかった
バスの時間が5:30過ぎると合わなくて
帰り着くのに
余計時間をとられて
結局夕飯の支度が疎かになる

あの頃の私は
手を抜くとか
前もって作り置きしておくとか
そんな知恵も余裕もなくて
ほんとに不器用だったから

毎日買ってきた新鮮な物を
熱々で食卓に提供するのが
一番の仕事だと思い込んでいた

子供達の身体を作ること
健やかな心を育てること
それはゴハンを一緒に食べて
いろんな話をする事が何よりだと
思っていたから

学校から帰宅した時の顔を
きちんと見て
今日何かあったのかな?
そう察することのできる
母親でいたいと思っていた

そして何かの本で読んだ
最初に起きて
一番最後まで起きてる
お母さんの姿に子供が安心する
というシーンに
自分もそうありたいと勝手に
理想の母親像を作り上げて
ひとり苦しんでいた

週3の仕事なのに
捌ききれない自分をどうにかしようと
パソコンの勉強を休みの日にして
できていない普段の家事を
取り戻すためにバタバタ動き
土日は子供達の部活の付添いで
朝から晩まで走り回り
パンク寸前だった🌀

そんな時父が病に倒れ
入院する事になり
かなり重篤な状態なので
もうこれ以上はムリですと
退職を申し出た私に
課長が言ってくれた

いつでも戻っておいで
お父さんの事が済んだら…

済んだらって?😥
目が点になる私と周りの部署の方々に

課長は慌てて
いや💦落ち着いてと言うか
治ったらだよ💦💦
って言い直して

みんなで苦笑い😓

課長の下についてた
グループのまとめ役みたいな
お兄ちゃん的な社員の方からも

本当に帰っておいで
いまはパートさんだけど
お子さんの手が離れたら
毎日来てもらいたいと思ってると
課長と話してたんだから
と有難い言葉をもらったけど
結局そこへ戻ることはなかった

父はそのあと
ちゃんと持ち直して
しばらくは元気でいてくれたけど

今思い出しても
潰れる寸前だったと思う
あれもこれもどこにもいい顔しよう
なんて不器用な自分に
できるわけがない

それ以来
気負わない
少しゆるい自分を許して
労わろうと思うようになった

もちろん私なんかのレベルは
甘々で
世の中にはもっと厳しい環境で
仕事と向き合わなきゃいけない
人がほとんどだと思う

重い、きつい、つらい
それは人それぞれ
感じ方は違うから
一概には言えないけど

身体や心を壊しては
なんにもならないんだからね

ふわ〜っと
ゆ〜ったりする時間
自分に作ってあげることも
長い人生には大切なこと

気負わない1日
たまには作りましょう

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京都の友達が送ってくれた 
初夏の瑠璃光院
心身が青く染まりそうな空間
一度は観に行きたい青紅葉

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秋もまた風情があるね
ゆっくりと堪能したい
そんな時間作れればいいなぁ🍁