妹が声を上げて泣いた。
母の転院先の主治医から、もう数時間後には、母は意識不明の重体になるだろう…と電話が入った時。
大声で泣いた。
もう数十年も見ていなかった。
妹の号泣。
それを私は、病室の入院先の病院で見た。
二度と見てはいけない。
そう思った。
妹の号泣だった。
私は、母の事実から逃げた。
妹は、良かれと思い、母の主治医の電話をスピーカーで聞かせてくれていた。
私は、それを苦痛以外の何ものでもない、吐き気がするくらいの重圧でしかなかった。
逃げる事しか、出来なかった。
母が意識を失くしてしまう、前の通話から、スピーカー通話を拒絶した。
妹が最初の感染者とか、
妹が泣きながら、耐えた数日間とか、もう全く考えられなかった。
逃げたくて、逃げたくて、毎回、動悸がすごくて、耐えられなくて、母からも、妹からも逃げた…
妹が号泣した、翌日の朝、母が意識不明の重体になった。
でも、前夜も朝も私は、心が少し落ち着いていた。
親不孝だ。
でも、現実逃避しないと、どうにかしてここから逃げる事しか考える事が、もう出来なくなっていた…