元エンタメライターの猪突“迷”信ブレブレ日記 -18ページ目

元エンタメライターの猪突“迷”信ブレブレ日記

社会人デビューは興信所の調査員。紆余曲折を経て、10年間、念願のエンタメ業界でライターをしていました。刺激に満ちたエンタメ業界を卒業し、これからは自分の興味の赴くまま趣味として綴ってみたいと思います。

人生、人と関わってなんぼだな。

 

今の私は、心の底からそう思う。

 

 

 

でも、長いこと私は他力とかという言葉が大嫌いだった。

 

自分の人生だもん、自力で何とかするのが然でしょ!

 

人の力を借りるなんて、甘えだわ。

 

 

 

いつの間にか、そういう考えで生きていたガーン

 


だからこそ、大学時代の恩師の言葉が、ずっと引っかかっていた。

 

 

 

大学のゼミで、私はマーケティング論を攻した。

元新聞社勤務の教授が、広告業務に携わっていた経験を基に開いたゼミ。

フィリップコトラーの分厚いテキストを紐解く一方、

流行や新商品を生み出す企業を取材してレジメを作って授業で発表するという、

生きたマーケティングを学べる、非常に実的なゼミだった。

 

 

 

ゼミに入ることが決まった時

教授はゼミを受ける上での心構えをいた手引き書をくれた。

A4サイズで50枚ほどのその手引き書には、

ゼミで必要となるリポートを書く、論文を発表するといった

スキルを習得するためのハウツーが書かれていただけでなく、

いずれ社会に出て行く私たちに、

仕事に取り組む際の一社会人としての自覚をも促すような奥の深い内容だった。

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授業でも、折に触れて自身の経験から社会について語ってくれていた。

 

でも話し好きな教授故、授業の最後に総評を語り始めると、

話が広がってエンドレスとなりチャイムが鳴っても続けること、しばしば。

 

当時、まだその話のありがたみがよく分かっていなかった私たちは、

またかとうんざり気味で、時計を見ながら、いつ終わるのかなあと

そちらの方ばかりきにしていたっけ(笑)。

 

 

 

そんな教授が折に触れて話していたのがについてだった。

 

二言目にはというくらい、縁の大切さをいつも説いていた。
紆余曲折あった新聞社時代の話、

脱サラ後、縁もゆかりもない大学に教授として迎えられたこと。


自身のこれまでの経験から痛感したからこそ、

そのことをいつもいつも私たちに語りかけてくれたのだろう。

 

 

 

でも、自分の道は自分自身で切り開くものと思い込んでいた当時の私は

 

なんて負け犬的な発想なのと、受け入れられずにいた。

 

 

 

教授のいたの大切さを受け入れられるようになったのは、

それから10年近く後のことだった。  つづく

本日、十数年ぶりにスポーツクラブに行った。

久々のスポクラは、60代、70代の人の姿も少なくなく
健康意識が高まってるんだなあと実感。



まずは自分の体重や筋肉量等々をチェックしてもらう。

かれこれヨガは4年、筋トレエクササイズは3年、自宅でDVDを見ながら続けている。
体重も落ち、体の締まりも感じ、それなりに手応えは感じていたのだが
一向に筋肉量が増えず、そして体脂肪はなかなか減らない。それを改善したかった。

チェックの結果、意外な事実が分かった。
自宅では24~25%あたりをうろうろしていた体脂肪率が、なんと19%を切っていた。
どうも自宅の体脂肪測定付き体重計が、正常に作動していなかったようだ。

筋肉量は若干理想値に足りないものの、
まずこのボディーバランスを自力で維持できていることが素晴らしいと褒められた。

ウフッ♡


予想外の展開に気を良くしながら、早速マシンで筋トレ開始。
すると、トレーナーが筋肉の使い方が良いと、またまた褒めてくれた\(^O^)/
乗せてくれたのだろうけど、かつてスポクラに通っていた10年ほど前は、
ちょっと動いてはフラフラで気持ち悪くなり、休憩が必要だった。
それが今回は皆無!

思いの外、体力、筋力がついていたことが実感できて、うれしくなった私は
その後もボールエクササイズにエアロビ、ヨガなどのスタジオエクササイズを行い
最後はプールへ!

気づけばランチも抜いて、7時間ものノンストップ滞在となった。

爽快な気分と、早めにやってきた筋肉痛をちょっと誇らしげに思いながら(笑)
ぎこちなく歩く帰り道。

もっと自分の体を信じてあげようと思った。




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こちらは運動後の一杯。
あまりの空腹に、近所のカフェでボリューミーなバナジューを注文。染み入った!



あきらめるな

あせるな

あなどるな

 

頭の「あ」のアルファベットを取って、3A

 

 

この言葉に出会ったのは、社会人1年目。

興信所に勤務していた頃のことでした。

主に雇用調査(企業が採用を予定する人物の素行、経歴などを調べる業務)を担当していた私は、

その日も被調査人の住む現地へ。

たしか大田区の住宅地でした。

 

架空の名詞を持ち、企業が調査していることが明るみに出ないよう

それなりのもっともらしい理由をつくって早速、近隣住人に聞き込み開始。

 

個人情報の取り扱いがうるさい今はどうか分からないけれど

私が調査業務に携わっていた当時は、

こういう調査は、実はこっそりとよく行われているもので

とりわけ年配の方は、割とすんなり教えてくれました。

 

とはいえ毎回、ドキドキの冷や冷やもの。

たまに被調査人の知り合いだったり、血縁関係にある人に当たってしまうのだから。

 

ただでさえスーツも着慣れてなくて、社会人経験が浅いのは明らか。

そこにビクビクオーラもにじみ出ているのだから、

それなりにインパクトはあったことでしょう。

「こんなに若いのに、大変なお仕事してるのねえ」と時々、

家に上げてもらうことがありました。

中には、お菓子や飲み物まで出してくれて

「ご飯も食べていく?」なんて言ってくれる人も。

 

この日も、応対に出た60歳前後の男性が、

すぐに何の調査かぴんときたようで家に上げてくれました。

奥様はお茶を煎れてくれました。

早速、話は本題に。

しかし、被調査人については全く知らないようで収穫ゼロ。

でも、この地に居住して長いようで、住環境についてはみっちり。

近隣住人との交流が盛んで、近々仲良しご近所同士で海外旅行に出掛ける

なんていう話もしてくれました。

 

そうこうしているうちに

「君は何で、この仕事に就いてるの?」

はい、来ました! 家に上げられたら必ず聞かれる質問です。

 

マスコミを志望するも全敗したこと。

 

慌てて駆け込んだ合同説明会で、

学生時代に専攻したマーケティング業務も対象に入れようと

「調査」業務のある企業を受けたこと。

 

信用調査という意味を全く知らず、

リサーチ業務のつもりで受け続けたら

内定をもらったこと。

 

内定後に友人の指摘でとんだ勘違いをしていると気づき、

総務に問い合わせたら「尾行もあります」と言われ

絶句したこと。

 

いつかインタビューの仕事をするのが夢だから、

これも何かの経験になるのではと入社を決断したこと。

 


 

男性は元大手企業の役員を務めていた人物で、リタイアしたばかり。

たくさんの部下を育ててきたというその男性は、

私の話を聞いて、スイッチがオンになったのでしょう。

 

仕事とは、人生とはと熱く語り出しました。

残念ながら、そこの記憶はすっぽり抜けてしまったけれど(^^

 

最後に男性は「じゃあ、君にこれから、ある言葉を贈ろう」といって

必ず部下に言い続けていたという、言葉を語り出しました。

 

それが、冒頭の3Aの言葉。

 

今でも、ふと、この言葉が頭をよぎります。

焦ってもいけないし、調子に乗っておごってもいけない。

しかし、なかなか、そのバランスを取ることは難しい。

2010年、安全地帯の復活コンサートの締めは、武道館での追加公演だった。

 

安全地帯の武道館ライブは実に18年ぶり。

また武道館でライブが聴けるなんてと感慨にふけりながら会場に着くと

違和感を覚えた。

 

ツアー中の奇行騒動で、チケットが余っていたと聞く。

招待されてきた人もそれなりにいたとか、いないとか。

真偽の程は分からないけど、開演前の雰囲気が、とにかくざわついていた。

開演を前に、ボルテージが上がっていくドキドキワクワクではなく、

もっとまとまりがない、緊張感に欠けるとでもいおうか。

アリーナのかなり後方席にいたせいかもしれないが、

好奇の目でライブを見届けようとする冷やかしのような空気が感じられた。

 

そんな中で始まったコンサート。

一瞬不安がよぎる。

ツアーが始まって1ヶ月ほどしたころの公演にも行ったが、

その時点で玉置さんの体調、喉のコンディションは芳しくなかった。

高音になると、

ライブの方がCDよりも完璧と言われるほど生歌クオリティーの高い

玉置さんが、微妙に音程をはずしていた。音が上がりきらないようだった。

おそらく一連の奇行騒動も、自分の理想に追いつかない体のコンディションへのいらだち、焦りがあってのことだったと思う。

そんな流れで迎えた最終日。もっとコンディションは悪化しているのではないかと心配だった。

 

でも玉置さんの歌声を聞くや、そんな不安は吹っ飛ぶ。

というより、度肝を抜かれた。

この前のコンサートより状態は悪いはずなのに、

何でこんなにパワフルな声が出るのだろう。

喉の状態に合わせて試行錯誤したのだろうか。

明らかに歌唱法が変わっていた。

 

オープニングからしばらくは80年代を中心とするノリノリの曲が続く。

そして玉置さんの真骨頂ともいえるバラードへ。

 

すると場内は、いつしかシーンと静寂に包まれていった。

明らかに玉置さんの歌声に聴衆が飲まれていっているのが分かる。

 

玉置さん自身もさらに乗っていく。

時に魂の叫びのようにはき出した歌声は、

これまでに聴いたことがないくらいに情感がこもり、胸に迫る。

 

このツアーの前に私が聴きに行ったライブは、

まだ玉置さんが30代と若かりし頃。

絶頂期の玉置さんはいつも余裕綽々で、

艶っぽく伸びやかな歌声を披露してくれた。

 

そして今、目の前にいる玉置さんは

一つ一つの言葉をかみしめるように全身全霊で歌う。

その気迫あふれる歌声は、まさにソウル。

 

バラードを歌い終わった後、拍手が起きるまでの一瞬の間。

圧巻の歌声を前に、我々観客はただただ呆然とするしかない。

玉置さんが自分の歌声だけで完全にあの場を支配していた。

 

そういえば、安全地帯のメンバーも、こう言ってたっけ。

時々、神がかり的な玉置さんのパフォーマンスに

自ら演奏する手を止めそうになることがあると。

これぞ、プロ!

 

あれから5年たつが、

会場の雰囲気を一変させたあの歌声に宿ったパワーは今も忘れられない。

今日は、楽しみにしていた玉置さんのコンサート音譜

国際フォーラム3daysの最終日音譜


  
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チェロ、バイオリン、パーカッション、ベース、キーボード、そして玉置さんの6人編成。

ことしはオーケストラとコラボしたコンサートを行っていて

その流れを踏襲し、こぢんまりした楽団を結成してみたとのこと。

その名も「玉置浩二 ~故郷楽団concerttour2015

 

 

オーケストラほどキメキメじゃなく、バンド編成ほどカジュアルじゃなく。
 ほどよいライブ感がありながら、弦楽器の優しい音色がしっとり感を演出。座席に座って、じっくり聴き入るコンサートだった。

(もちろん田園では総立ちノリノリ!)

 

 

 玉置さんの歌声を聴くのは

6月のサントリーホールでのフルオーケストラとの共演以来。

 

その後も玉置さんは今回のツアーのほか、夏フェスにも色々参加していて、

そろそろ疲れもたまっているころかなあ、喉の具合はどうだろうかと思ったが、そんな心配も杞憂に終わった。


 
たぶん、安全地帯が2010年に復活して以降、

私が見た中では一番ベストなコンディションだったのではないだろうか。

 

 包み込むような厚みのある声が、今日はどこまでもどこまでも伸びやかだった。

コンサートが始まって早々に歌った「カリント工場の煙突の上に」の

「大空よ 僕をあの場所へつれていってくれ」のくだり。

まさに空へと突き抜けていきそうなド迫力で、圧倒されて鳥肌が立った。

 

また新たな高みに達してる!

 

素人が言うのもおこがましいが、またまた玉置さんの進化を見たような気がした。


たぶん今年行ったフルオーケストラとの共演

玉置さんは、また新境地を開拓したのだろう。

 

玉置さんはノリノリになると、タメて歌うことが少なくなくない。

トーク番組で、本人も言っていた。時々、自分でもやり過ぎだなあと思うことはあると。

バンドの場合は玉置さんが指揮者でもあるから、

みんな玉置さんの乗りに合わせていくので問題はないだろう。

でも大所帯のフルオーケストラとなると玉置節は封印せざるを得ない。

どんなに乗りに乗っても、決められたリズム、テンポで歌わないと崩れてしまう。

 
正確に歌うという原点に立ち戻ったことで、シンプルに歌うことを極めたのだろうか。


確かに何かが変わった。

何か新たなパワーが宿ったように感じるのだが

悲しいかな、その何かを言葉に落とし込むことができない。

 

曲作りなんてお茶の子さいさいでできてしまう。

そして圧倒的な歌唱力に関しては言わずもがな。

こんな天賦の才能の持ち主であっても、現状に満足することなく

常に新たな音楽に挑み続け、どんどん変わり続けていく。

 

あっぱれ、玉置さんのプロイズム!

 

プロイズムといえば

2010年の安全地帯コンサートツアーのことを書かずにはいられない。

奇行騒動でワイドショーの格好のネタになってしまったけれど
私は、このツアーの中のある公演で
玉置さんのプロイズムの神髄に触れた気がした。本当にド肝を抜かれた。

この話は次回に。