人生、人と関わってなんぼだな。
今の私は、心の底からそう思う。
でも、長いこと私は「他力」とか「縁」という言葉が大嫌いだった。
自分の人生だもん、自力で何とかするのが当然でしょ!
人の力を借りるなんて、甘えだわ。
いつの間にか、そういう考えで生きていた
だからこそ、大学時代の恩師の言葉が、ずっと引っかかっていた。
大学のゼミで、私はマーケティング論を専攻した。
元新聞社勤務の教授が、広告業務に携わっていた経験を基に開いたゼミ。
フィリップ・コトラーの分厚いテキストを紐解く一方、
流行や新商品を生み出す企業を取材してレジメを作って授業で発表するという、
生きたマーケティングを学べる、非常に実践的なゼミだった。
ゼミに入ることが決まった時
教授はゼミを受ける上での心構えを説いた手引き書をくれた。
A4サイズで50枚ほどのその手引き書には、
ゼミで必要となるリポートを書く、論文を発表するといった
スキルを習得するためのハウツーが書かれていただけでなく、
いずれ社会に出て行く私たちに、
仕事に取り組む際の一社会人としての自覚をも促すような奥の深い内容だった。
授業でも、折に触れて自身の経験から社会について語ってくれていた。
でも話し好きな教授故、授業の最後に総評を語り始めると、
話が広がってエンドレスとなりチャイムが鳴っても続けること、しばしば。
当時、まだその話のありがたみがよく分かっていなかった私たちは、
またかとうんざり気味で、時計を見ながら、いつ終わるのかなあと
そちらの方ばかりきにしていたっけ(笑)。
そんな教授が折に触れて話していたのが「縁」についてだった。
二言目には「縁」というくらい、縁の大切さをいつも説いていた。
紆余曲折あった新聞社時代の話、
脱サラ後、縁もゆかりもない大学に教授として迎えられたこと。
自身のこれまでの経験から痛感したからこそ、
そのことをいつもいつも私たちに語りかけてくれたのだろう。
でも、自分の道は自分自身で切り開くものと思い込んでいた当時の私は
なんて負け犬的な発想なのと、受け入れられずにいた。
教授の説いた縁の大切さを受け入れられるようになったのは、
それから10年近く後のことだった。 つづく



