視野広く穏やかに歩む。 | 暮らしのひとこま

暮らしのひとこま

ご訪問を有り難うございます。
心身に優しく向き合う暮らしのひとこまを書いてます。

おはようございます。

最近、夜中にばっちり目が冴えてしまいます。
車にエンジンがかかったように、私の一部(もの、こと、人)が元気を与えてくれてるみたいです。


2ヶ月あまり、ほとんど体が自由にならない期間、ベッドから空ばかり見ていました。



その間も、色んな気付きがあり、腑に落ちた事がたくさんありました。

きっと、あの泣き虫の入院がなかったら、気づくこともなかったかもしれません。


(昨年、入院バックに立て籠り、準備を阻止するくうたん。)

今は、少し元気になってきたから、穏やかに振り返ることが出来るのでしょう?
渦中では、泣き叫んでいたのでしょう?

と自分で自分に会話します。

はい、その通りです。

(相変わらず新薬での治療はしていますが)

そして、体が落ち着いてきたから、心が穏やかになるし

それと同時に、気付きが心を穏やかにしてくれたから、体が穏やかになってきたのも事実です。



どちらかと言えば、後者なんですが
 
心の波動は、波から粒になり物質化するという、素粒子の現象からすると

心が先なのでしょうが




どんなに時間がかかっていても、
肉体が自身を24時間治そうと働いている事実を感じずにはいられないし、その治癒力を持って我々は日々生きている。

心が体を 誕生させた意味があり、意図がある

そして、命の数ほど、色んな体験がある。



その体験をどのように捉えているかによって、自分オンリーの意味付けや気付きがあり
不足に感じることもあれば、満足に感じることもあり
中立なただ、それをあるがままに捉えることも出来る。

人は、平らな平穏から、満足の感情を幸せと感じる事がほぼ常だけど

苦痛や辛さを経験してこそ、得る気づきの境地も確かにある。

自分が痛みを知れば、人の痛みを分かるようになり、優しくなれるし

自分が喜びを知れば、人の喜びを分かり共に喜べる





経験しないことには、その時の様々な感情や感覚は認知できない。
だから、経験してはじめて、色んな気付きをする。

どんな経験の中にも、その渦中では見えない
プラスとマイナスな感情や気付きがあり
 
そこから得るものは、自分自身のさらなる命の進化の為にある。

気付きとは、現象の中にある、物事の見えなかった対極が見えるようになること。

そして、現象の核心に気づくこと。

それが例え、自分が作り出した経験ですら、
そこから、学び、命の拡張をしていくのが
人間として自分自身を創造した、意識エネルギー(神)の意図なのだろうから

発展途上の自分の成長を、神と道連れに
新しい創造の意図を決めながら、穏やかに歩いていこうと思います。





今は、ひとつ、ひとつの意志と、実現を
子供のように喜べる自分がいる。

車も自分の一部であると気づいてから
車のバッテリーを直してエンジンがかかったように

私の心にも再びエンジンがかかり始めたように思える。



万人が最終的には、今の肉体を離れる時に向かっている
新しい命に変わるまでの、この自分という唯一無二の残りの人生を、

成功とか、失敗とか、視野の狭い範囲で意味付けず

毎日の小さな気付きや喜びで、命の拡張を穏やかにしていきたい。

暮らしこそが命を立ち返らせる。
暮らしのひとこま、ひとこまを積み重ねていこう。





今日もよい一日をお過ごし下さい。