世界最大のソーシャルネットワーキングサイト「Facebook」創設者マーク・ザッカーバーグの半生を、鬼才デビッド・フィンチャーが映画化。
2003年、ハーバード大学に通う19歳のマークは、親友のエドゥアルドとともに学内の友人を増やすためのネットワーキング・サービスを開発する。
そのサービスは瞬く間に他校でも評判となり、ファイル共有サイト「ナップスター」創設者のショーン・パーカーとの出会いを経て、社会現象を巻き起こすほどの巨大サイトへと急成長を遂げるが……。
今やネットのない生活は考えられないほど、世界中がインターネットの虜になってしまった感がある。
日本でもIT長者がたくさん生まれ、不況下の経済界でも一人勝ち状態と言えるだろう。
もちろん、過酷な競争に破れ、地位も名誉も失った者もいるだろうが。
この映画は、そんな一夜にして成り上がったIT長者の若者の生き様を描いている。
主人公のザッカーバーグ、見るからに「オタク」である。
一人前に彼女はいたが、言いたい放題でプライドを傷つけ、別れてしまう。
無理もないだろう。こんな男に彼女が付いて行けるはずがない。
彼のキャラクターを表す特徴に、彼の頭の回転の早さがそのまま口から出たような「超早口」がある。
字幕泣かせの「超早口」だが、まずはここで、ついて来れない観客はふるい落とされる。
これはすなはち「IT業界の進化のスピードについて来れるか?」なのだ。
コンピューターで言えば「サクサク」動くかどうかだ。
一瞬たりとも思考停止してはならないのが、ITの世界なのだ。
そんな強烈な個性の彼が、あれよあれよと言う間に、時代の寵児になり、一夜にして億万長者になる。
しかし、その過程で、同級生に訴えられたり、無二の親友を失ったりする。
この代償を大きいと取るか、取るに足らないととるか、そこは観るものの判断にゆだねられる。
億万長者になれれば成功者なのか?それを羨ましいと思うか?
一部の一攫千金を狙う「同類」は、羨ましい、自分も!と思うかもしれないが、大多数の観客は、彼を「哀れみ」の眼差しで見るのではないだろうか?
つまりこの映画は、単なるアメリカンドリームを実現した男の「ヒーロー譚」や「成功譚」ではない。
どうひいき目に見てもザッカーバーグがヒーローには見えない。
自分の目には「インターネットという名の怪物に魂を売った愚かなオタク」に見えてしまう。
こんな「怪物」を生み出してしまう現代社会に、問題提起している映画なのだ。
しかし、その「愚かなオタク」の「天才的ひらめき」のお陰で、その恩恵に預かっているのは、他ならぬ私たちなのだという事実も無視は出来ない。
そんな様々なことを考えさせてくれる、やはりこれはアカデミー賞に値する社会派の問題作なのは間違いない。
