来る6月7日は、ジーン・ハーロウの没後87周年です。
(1911年3月3日生誕 - 1937年6月7日死没)
それを記念して、ジーン・ハーロウの映画をご紹介します。
※過去の投稿の再掲です。
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ジーン・ハーロウ/Jean Harlow
- 1911年3月3日生誕 - 1937年6月7日死没
- ミズーリ州カンザスシティ生まれ
- 富裕な歯科医の家庭に生まれ、恵まれた幼少期を過ごす。
- 16歳のとき大富豪の息子と駆け落ちし、ハリウッドに移り住む。
- ハワード・ヒューズの『地獄の天使』の代役に抜擢され、一躍スターに。
- 1937年『サラトガ』撮影中に急性腎炎を発症、診断からわずか数日後に急逝。
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ジーン・ハーロウは、マリリン以前のセックスシンボルです。
- セダ・バラ(1885年生まれ)
- メイ・ウエスト(1893年生まれ)ニタ・ナルディ(1894年生まれ)
- クララ・ボウ(1905年生まれ)
- ジーン・ハーロウ(1911年生まれ)
以上のように約10年ごとに更新されてきたハリウッドのセックスシンボルの第4世代です。
なお、ジーン・ハーロウの次は、以下のように続きます:
- ベティ・グレイブル(1916年生まれ)
- ラナ・ターナー(1921年生まれ)
- マリリン・モンロー(1926年生まれ)
- ジェーン・マンスフィールド(1933年生まれ)
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ジーン・ハーロウは、クラーク・ゲイブルとの名コンビで知られています。
この『紅塵』以外にも、『支那海』(1936)、『妻と秘書』(1936)などの作品で、MGMはそうしたナイスカップルを描いてきました。
『紅塵』(1932)
監督 ヴィクター・フレミング
共演 クラーク・ゲイブル、メアリー・アスター
撮影 ハロルド・ロッソン
【あらすじ】
デニス・カーソンはインドシナのあるゴム栽培地の主任だった。
父の跡を継いでこの熱帯地に住んでいる。
不健康地で女の住むに堪えないこの土地には全然女っ気がなかったが、サイゴンに巣くう素性の知れない女の1人ヴァンティンが、カーソンの部下ギドンと共にやってきた…
※リメイク:『モガンボ』(1953)
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ジーン・ハーロウは、1930年というトーキー時代の入口で登場しました。
1930年代後半~1940年代前半というハリウッドの黄金期に入る前の女優です。
ハリウッドは、1935年に大規模な自主規制(ヘイズコード)を導入し、性や暴力を一掃しました。
それにより、ギャング映画とお色気物は無くなり、暗い犯罪映画とラブコメの時代に入ります。
(前者はフィルムノワール、後者はスクリューボールコメディと呼ばれます)
そのように、ジーン・ハーロウは1935年(ヘイズコード)以前の女優なのです。
じっさい、ジーン・ハーロウの"Red-Headed Woman"(1932)のヌード姿が、ヘイズコード導入のきっかけでした。
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この『紅塵』は、後年クラーク・ゲイブルの主演は変わらず、巨匠ジョン・フォード監督により、エヴァ・ガードナーとグレース・ケリー主演で、『モガンボ』としてリメイクされた作品です。
それほどまでに、好評を得た映画であると同時に、MGMの2大スターの競演が観られる貴重な作品です。
ジーン・ハーロウのブロンドの美しいウェーヴと、細い蛾眉を堪能することが出来ます。
1931年から35年というころのMGMの最高潮どきの若いゲイブルとハーローは、シャンパンの栓を音立ててぬいたような、またはチューインガムの最初の一枚を口に放り込んだときのような、まさにアメリカの嬉しさがあった。
あんちゃんと、おねえちゃん。
それが夜のシャンデリアの下のタキシードと銀色きらめくイヴニングのおふたりともなるのであった。
メエ・ウェストの見るからに下品を絵に描いたごときあくどさと、クララ・ボウのスポーツ・ガール的セクシーさ。
これをハーローはまったく生まれながらのごとく、身につけていた。
細い眉はディートリッヒのごとく、ゆたかな胸と悩ましき曲線の腰は夜の女のたまり場の額縁の絵のごとく。
(淀川長治)
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