3月7日は、イタリアの伝説的な女優アンナ・マニャーニの生誕116周年です。
(1908年3月7日生誕-1973年9月26日死去, 65歳没)
それを記念して、アンナ・マニャーニの作品を紹介しています。
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アンナ・マニャーニは、ローマ生まれ、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で学びました。
その後演劇に転向し、ウェイトレスや歌手という端役を務めた後、1934年映画デビュー。
ロッセリーニ、ルノワール、ヴィスコンティらの作品に出演した。
1955年の『バラの刺青』ではアカデミー主演女優賞を受賞しました。
『無防備都市』(1945)
監督 ロベルト・ロッセリーニ
共演 アルド・ファブリッツィ
撮影 ウバルド・アラータ
脚本 セルジオ・アミディ、フェリーニ
【あらすじ】
1942年、ローマ。
レジスタンスの指導者マンフレーディは、資金調達のためローマにやってくるがゲシュタポに追われ、恋人との結婚を控えた同志フランチェスコの家への身をひそめる。
そこで神父のドン・ピエトロに仲間との連絡を頼む。
しかしフランチェスコの結婚式の当日、ナチが踏み込んでくる…
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イタリアのネオレアリズモの代表作として、あまりにも有名なこの映画について、教科書的な説明は、いったんおいておきましょう。
この映画でのアンナ・マニャーニの素晴らしさとして、第1部の終わり間際の、射殺されるシーンを挙げたいと思います。
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結婚式の当日、アンナ・マニャーニは、花嫁であるにもかかわらず、経済的に豊かではないため、黒のシックなワンピースに身を包んでいます。
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夫となるフランチェスコがドイツ兵に逮捕され、警察の車両へと連行されるのを見て、アンナ・マニャーニは「フランチェスコ!」と叫んで、ドイツ兵に平手打ちを食らわせて、神父をも振り切って、警察車両を走って追いかけるのですが、走る彼女に、凶弾が襲いかかり、射殺されてしまいます。
ハリウッドの仰々しい「戦争映画」ならば、もったいつけた演出がされるようなシーンですが、ロッセリーニの映画が常にそうであるように、アンナ・マニャーニは、ただばったりと倒れます。
その、即物的な死に方に、鈍い衝撃とショックがあります。
ちょうど1分ほどの短いシークエンスですが、この一瞬こそが、アンナ・マニャーニとロッセリーニとが、世界にネオリアリズモを強く印象付けたワンシーンです。
生から死への運動を描いた、純粋状態の映画がここにあります。
それは、崇高な一瞬とでも言えましょう。
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以下はいささか衒学的な解説となりますので、イタリア映画史に興味の無い方以外はご放念ください。
この『無防備都市』は映画史を変えた作品と呼ばれます。
それは、イタリアのネオレアリズモ運動の象徴的な作品とされているからです。
また、この映画を通じてイタリア映画の存在が世界に知れ渡るからでもあります。
イタリア戦後の混乱期に撮られた戦争悲劇である『無防備都市』は、欧州の周辺部からの新しい映画運動にとってうってつけの作品でした。
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しかし、イタリアでの新しい映画運動は、1940年代初頭から勃興しているという見方もありますし、ロッセリーニも「戦後に享受した自分の栄光は途方もない誤解に基づいている」と言っています。
何が言いたいかと言うと、この作品は「戦後イタリアの悲惨を描いた新映画運動の象徴的な作品」と語られがちであり、そういう論者に限って、その他のロッセリーニの作品の低く評価していて、全く不当であるということです。
『アモーレ』(1948)、『神の道化師、フランチェスコ』(1950)、『イタリア旅行』(1953)という、その後のロッセリーニの傑作は、戦争の悲惨と関係のない作品ですが、『無防備都市』を遥かに凌ぐ、真の傑作ばかりなのです。
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そうした作品の中で、アンナ・マニャーニは、『アモーレ』では大変な名演を残しています。
その『アモーレ』は追ってご紹介いたします。
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