明日のNHK BSでオードリー・ヘプバーンの『パリで一緒に』が放映されます:

4月11日(木)午後1時00分〜2時52分

 

以下に『パリで一緒に』の過去の投稿を再掲します:
 

『パリで一緒に』(1963)
製作・監督 リチャード・クワイン
共演 ウィリアム・ホールデン
カメオ出演 ディートリッヒ、トニー・カーティス、メル・ファーラー
撮影 チャールズ・ラング ※テクニカラー
衣裳 ジヴァンシー

【あらすじ】
脚本家ベンスンが臨時秘書のガブリエルにタイプさせたシナリオは、無名の新人俳優フィリップが娘ギャビーに恋をしており、パリ祭でのデートの約束をするが、急な撮影の仕事でそれをすっぽかすという内容。
ここまで読んだプロデューサーの“つまらない、書き換えろ”の指示に彼は応じず、脚本は棚上げに……。


ジヴァンシールックのオードリーを堪能できる作品です
 

このとっちらかった展開の映画では、ディートリッヒや、シナトラや、トニー・カーティスがカメオ出演していたり、『カサブランカ』のパロディがあり、ハリウッド映画の黄昏を観ているような気が起きてきます。



オードリーの相手役は、『麗しのサブリナ』(1954)でオードリーが惹かれたという噂のあった、ウィリアム・ホールデン。









この映画の翌年、オードリーは、『マイ・フェア・レディ』(1964)で傑作を生むに至るのですが、彼女は素晴らしい演技にもかかわらず、アカデミー主演女優賞を獲得できませんでした。

 ※作品賞は獲得しました。
 

そのせいもあってか、次の作品の『おしゃれ泥棒』(1966)では、痛々しい痩せた姿を見せてしまいます。

その意味で、この『パリで一緒に』は、生き生きとしたオードリーのジヴァンシールックの最後の作品として記憶されるものです。








































なお、この作品が公開された1963年は、4大フランスデザイナーの手掛けた映画が出揃った年です。

  1. ピエール・カルダン(1922年生まれ)+ジャンヌ・モロー
    • 『天使の入江』『バナナの皮』
  2. ユペール・ド・ジヴァンシー(1927年生まれ)+オードリー
    • 『パリで一緒に』
  3. イヴ・サン=ローラン(1936年生まれ)+クラウディア・カルディナーレ
    • 『ピンクの豹』
  4. ガブリエル・シャネル(1893年生まれ)+デルフィーヌ・セイリグ/ロミー・シュナイダー
    • 『去年マリエンバートで』(1961)
    • 『ボッカチオ'70』(1962)

このように、1963年は映画とモードとが幸福に共存していた年なのです。


※その後、ピエール・カルダンは、ジャンヌ・モローと蜜月を続け、イヴ・サン=ローランは、カトリーヌ・ドヌーヴやロミー・シュナイダーを手掛けていきます。
※なお、1962年から1964年という時期は、映画史が大きな転換点を迎えた時期であることは、こちらでも論じています。

 


以下は、この作品を離れた話となります。
このブログ/SNSのテーマである映画女優史のおさらいをいたします。


1930年代から1950年代は、ハリウッド映画が世界を圧倒していた時代です。

その中で、オードリーは、1953年にデビューした「遅れてきたスター」(マリリン・モンローと同様に)なのですが、その魅力の一部はジヴァンシーの衣裳によるものです。

『麗しのサブリナ』(1954)、『パリの恋人』(1957)、『ティファニーで朝食を』(1961)、『シャレード』(1962)と、オードリーの主要な作品の衣裳は、ユベール・ド・ジヴァンシーです。
(一部セシル・ビートンのデザインのものもありますが)


しかし、そんな1950年代は、ハリウッドのスタジオシステムの崩壊期であり、ヨーロッパの新しい女優たちが、イタリアやフランスの新しい映画運動とともに、続々と登場した時代でもあります。

その意味で、女優の美が、アメリカからヨーロッパへ覇権が移っていく時代なのです。


ところで、1950年代に入る直前の1949年に、イングリッド・バーグマンは、イタリアの監督ロッセリーニと駆け落ちし、ハリウッドからイタリアへ逃げます。

そこで、ロッセリーニと共に、空前の傑作『イタリア旅行』(1953)を生み出します。
(それは、フランスのゴダールやトリュフォーにショックを与えました)
それは、正に、女優の美が、アメリカからヨーロッパへ移っていく事態そのものです。


1950年代のハリウッド映画の牙城を崩したのが、まずはBBとモローというフランス女優です。

  • 1956年に、ブリジット・バルドーが『素直な悪女』で新たなセックスシンボルとして登場し、
  • 1958年に、ジャンヌ・モロー主演の問題作『恋人たち』が大スキャンダルとともに一世を風靡しました。
  • ソフィア・ローレンは、BBに追随するようにセクシーさを魅力として登場しながらも、本格的な演技も認められ、1960年に『ふたりの女』でアカデミー賞主演女優賞をします。


そして、転換点の1963年が訪れます。クラウディア・カルディナーレとカトリーヌ・ドヌーヴの年です。

1963年に、クラウディアは、ヴィスコンティの『若者のすべて』(1960)に続き、ヴィスコンティの『山猫』、フェリーニの『8 1/2』に立て続けに出演し鮮やかな印象を残し、次世代のイタリアンセックスシンボルの座につきます。

  • その前のセックスシンボルは、マリリン・モンローでありましたが、マリリンは1962年に急逝します。
  • マリリン・モンロー(MM)に替わり、フランスではブリジット・バルドー(BB)、イタリアではクラウディア・カルディナーレ(CC)が、セックスシンボルの座を引き継ぐことになったのです。

一方、カトリーヌ・ドヌーヴは、1963年に『シェルブールの雨傘』という大傑作に出演します。それにより、ドヌーヴは、オードリー的な可憐さをもった美少女として、スターダムに上り詰めます。

 ※ドヌーヴとオードリーは14歳違いなので、まさに世代交代と言えましょう。


このように、オードリー&マリリンのハリウッドスター時代から、フランス・イタリアの女優たちの時代へと移行していったのが、この『パリで一緒に』の1963年なのです。

別の言い方をすれば、オードリー&ジヴァンシーから、モロー&ピエール・カルダンドヌーヴ&サン=ローランへの移行が始まった年とも言えましょう。
 ※なお、ドヌーヴ&サン=ローランは『昼顔』(1966)からです。
 ※ロミー・シュナイダー&サン=ローランは『マックスとリリー』(1971)からです。

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