来る5月29日は、ロミー・シュナイダーの没後42周年となります。
(1938年9月23日生誕 - 1982年5月29日死没)


それを記念して、ロミーの作品を年代順に紹介しています。

(以前の投稿の再掲となります)

 

『地獄』(2009)

監督 セルジュ・ブロンベルグ、ルクサンドラ・メドレア 

【解説】
アンリ=ジョルジュ・クルーゾ一監督によって1964年に製作が開始されるも、監督が病に倒れて未完となってしまった幻の映画『地獄』。 
その残されたフィルムと関係者の証言などで構成され、2009年のカンヌ映画祭で大反響を巻き起こしたドキュメンタリー。
妻の浮気を疑う夫の妄想がめくるめく映像美で表現されている

 

1962年から1964年という時期は、映画史が大きな転換点を迎えた時期です。

  • 1962年 マリリン・モンローが怪死を遂げる。
  • 1963年 20世紀フォックスの社運をかけたエリザベス・テイラー主演『クレオパトラ』が公開される。
  • 1964年 クルーゾーの『地獄』が未完に終わる。

そんな転換点に生まれた『地獄』は凄まじい映画です。

 

まず、前衛的な視覚的な演出。

当時流行していたオプアートを大胆に導入し、モノクロ映像にカラー映像を重ね合わせようとしていたこと。

湖にいる俳優に青いメイクをさせ、色を反転させることで、湖を赤く見せようとしたなど。

 

次に、大掛かりな撮影スタッフ。

ロケ撮影だからと言って、撮影が3チームいたというのは、フランス映画で聞いたことがありません。

(そのうちの一人が、後に大活躍するウィリアム・リュプチャンスキーです)

 

更に、クルーゾー監督の偏執狂的な仕事ぶり。

夜の2時にスタッフを叩き起こしたり、俳優と喧嘩したり。

その結果、主演のセルジュ・レジアニが自ら現場を投げ出し、代役のトランティニャンが来るも数日で降りたそうです。

そして、クルーゾーが撮影中に心臓発作で救急搬送され(!)、映画が中断したのです。

 

いやはや、こんな凄まじいエピソードは、フランス映画史においては、レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』くらいでしょうか。

映画史が一つの転換点に来ていたことを感じさせる映画です。

 

そこのミューズが、ロミー・シュナイダーであったのです。

 

(映画ではトップ女優と言ってましたが、この頃そこまでスターダムに上り詰めていません。

1955年の『シシー』はヨーロッパ中で大ヒットした作品でしたが、その後はオムニバス映画『ボッカチオ'70』(1962)での主演、『審判』(1963)での助演女優、アメリカ映画『枢機卿』(1963)での主演という程度で、好演が続いたにせよ、大スターであったというのは、ちょっと違う気がします。)

 

それはロミーの価値をいささかも貶めるものではありません。

いずれにしても、25歳の急成長中のロミーを極めて耽美的に写し取った素晴らしい映像を味わうことが出来ます。





















 

なお、フランスではロミーは、「ロミー・シュネデール」と呼ばれていました。


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