来る3月9日はジュリエット・ビノシュの60歳の誕生日です。
(1964年3月9日生まれ)
それを記念して彼女の作品をご紹介しています。

こちらが、ビノシュのベストNo.1の作品であると考えます。
 

『溺れゆく女』(1998)
監督 アンドレ・テシネ
共演 アレクシ・ロレ
撮影 
キャロリーヌ・シャンプティエ

【あらすじ】
私生児として生まれたマルタンは、10歳のとき父のもとで暮らすようになった。
20歳になったマルタンは父の死とともに、狂ったように家を飛び出した。
やがてパリに住む義理の兄弟のもとへ転がり込んだ彼は、そこで同居人のアリスに出会う。
次第に惹かれていく2人だったが、突然家を出た理由についてはマルタンは誰にも語ろうとしない。
それからしばらくしてアリスはマルタンの子を宿す。
動揺したマルタンだったが、ついに家を出た訳をアリスに告白するのだった。

 


監督のアンドレ・テシネとビノシュの協働は、ビノシュの出世作『ランデヴー』(1986)以来となります。

 

しかしながら、この作品の魅力を語る際には、撮影監督に注目せざるを得ません。

それの撮影監督は、キャロリーヌ・シャンプティエです。
キャロリーヌの素晴らしいキャメラについては、以前ドヌーヴの『夜風の匂い』(1999)でも触れました。


ここでも、キャロリーヌの緋色の使い方は素晴らしく、ため息が出てしまいます。


ビノシュのマフラー、手袋、演奏用の服、ノエルのイルミネーション、予審判事の本... それらの緋色は、『夜風の匂い』のポルシェやドヌーヴのソールの赤を思い出せます。

 






感動的なのは、ラストシーン近く、精神病院から退院したロレに、ビノシュが自首をすすめ、2人で人生をやり直そうと告げたところ、ロレが逃げ出してしまった --- 実は警察へ自首した --- 後のシーンです。



パリは、いつの間にか雨上がりの夕闇となっており、街をゆっくりとキャメラが動いていきます。


あかりが灯り始めており、舗道には、アフリカ系と思しき女と、手をつないだ赤いダウンを着た子供が手前と歩いてきます。
キャメラがパンした先に、公園のベンチに腰掛けるビノシュが正面左前から捉えられます。

このショットには、観る者の目をくぎ付けにさせる力がみなぎっています。


ビノシュは、ロレに去られ、ただ腰掛けています。
救済が暗示されるわけでもなく、かといって絶望があるわけでもありません。

ロレは、自首したのか、それとも逃げたのか。

いずれにせよ、ロレと生きるのだという女の思いが伝わってきます。







このシーンが素晴らしいのは、単にビノシュの思いが込められているからだけではありません。

このシーンが、他のシーンと映像として共鳴しあっており、映画として充実した体験を与えてくれるからです。


この画面が響き合っているのは、ビノシュとロレの記憶になる夜の闇や緋色です。


演奏家仲間とバスの停留所にいたビノシュが、つきまとうロレを見咎め、カフェの地下まで追い詰めた際の、その夜の闇と緋色のストール。
あるいはノエルの赤いイルミネーションの中、亡き姉についてロレに語った日の、優しい夜闇でのビノシュの緋色の手袋。




こうした暗さと緋色の、詩的とも言える広がりが、キャロリーヌ・シャンプティエ撮影のフィルムの体験に他なりません。
















以下、映画俳優を目指している方へメッセージ:

私は俳優業の経験は一切ありませんが、映画俳優の研究から言えることがいくつかあります。

映画は、多くの人たちとの協働のクリエイティブだということ。
したがって、俳優は監督やスタッフとコミュニケーションを取ることが大事です。

 

監督の意図は何か。

撮影監督は何をする人で、何をしようとしているか。
そのほか、照明・音響・音楽・美術・編集等々、もちろんプロデューサーも。

 

コミュニケーションを取るためには、映画語が話せる必要があります。

好きな映画監督の名前を何人挙げられるか。
一度は見てないと話が通じない映画やシーンは何か。

素晴らしいキャメラマンや映画音楽家は誰か。

その固有名詞の数が、映画語の語彙となります。


それが映画語です。
衒学的になるのは好きではないのですが、俳優という熾烈な職業を目指されるなら、必要なスキルです。

僭越を承知で書きました。
苦戦する日本映画界を救う俳優の登場に期待して、祈りのような気持ちで書きました。

気分を害された場合はお詫び申し上げます。
 

では、映画語とは何か。
それは、あらゆる人にとっての外国語である。
両親が映画語を話していたという人は世界に存在しない。
また、両親が映画語に通じていても、それが子供に遺伝するとは限らないのだ。
それは、ある時期、何かをきっかけとして独習するほかはない他国語なのである。
そして、不幸にして独習用の参考書というものは存在しない。
映画史とか映画理論とかなら、知識として習えるし、映画技術も体験的に教わることができる。
ところが外国語としての映画語は、ある日、知らぬまに、それに通じていたという以外、体系的な学び方は禁じられているのである。

方法が存在しないからなのだ。
(蓮實重彦)

 

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