カトリーヌ・ドヌーヴは、37歳の『終電車』(1980)の大成功のあと、引退を考えたのですが、
翌年のアンドレ・テシネ監督との出会いにより、キャリアを継続させていきます。
大作映画や娯楽映画やコメディ映画にも出て、『インドシナ』(1992)で再度成功を収めます。
また、その一方でお気に入りの監督の作品や、新進の監督の低予算映画にも出演し続けました。
1983年にブニュエル、1984年にトリュフォー、1990年にジャック・ドゥミに続き、1996年に遂にマストロヤンニとも死別することになります。
愛した男たち/監督たちが、次々と逝去していくのです。
(なお、ロジェ・ヴァディムは2000年に逝去します)
偶然かどうか、この時期(1995-99年)の作品群には、それまでのドヌーヴと異なる迫力があります。
個人的にドヌーヴの最も好きな時期でもあります。
■
こちらの作品は、個人的にドヌーヴのベストNo.1と考える作品です。
『夜風の匂い』(1999)
監督 フィリップ・ガレル
共演 ダニエル・デュヴァル、グザビエ・ボヴォア
撮影 キャロリーヌ・シャンプティエ
【あらすじ】
何不自由ない夫との生活がありながら、身も心も満たされないものを感じ、若い恋人ポールとの情事を重ねる女エレーヌ。
ポールとの愛に悦びを感じる一方、つねにその若さに怯えてしまう。
エレーヌの一途な愛を重荷と感じ始めている。
ナポリでポールは建築家のセルジュと知り合う。
セルジュの不思議な魅力に惹かれたポールはパリまでの帰路、彼の車に同乗させてもらう。
パリではエレーヌと久々の再会をはたすポールだったが……。
■
ドヌーヴ56歳のときの作品です。
しかし、この映画を観た方であれば、この映画の持つ豊饒さの前では、女優の年齢などどうでもいいことと感じるのではないでしょうか。
■
冒頭、あるアパルトマンの階段を上るドヌーヴのシーンから始まります。
ヒールと思しき、硬い靴による足音が長く続きます。
そして、ドヌーヴはグザビエ・ボヴォアの部屋へと入り、ベッドを整えた後、日記を綴ります。
ここで、ドヌーヴの映画にしては珍しい日常感が演出されます。
また、情事の後で、グザビエ・ボヴォアの頼みから、ドヌーヴは髪をアップにして、眼鏡をかけるほどです。
冒頭から、ドヌーヴがこれまでにない姿で描きだされていますことが分かります。
■
原題は「夜の風」。
しかしながら、この映画では、ドヌーヴのあの豊かな髪を、乱しにかかるのは、昼間の風です。
若い愛人ボヴォアが、ドヌーヴにやや距離を置き、一人でナポリへと発つ際に、風が強く吹きドヌーヴの髪は無方向に乱れます。
その乱れは、ボヴォアとの関係に不安を抱くドヌーヴの心そのものです。
そして、その後、何の前触れもなく、ドヌーヴは衝動的にリストカットをします。
ふと、ドヌーヴはこうした愛の狂気や死とは無縁の役ばかりだったことに思い当たります。
1980年代に、『Le choix des armes』で誤って射殺されたり、『夢追い』で凍死寸前になったりはしますが、そこには愛の狂気などなければ、死との向き合いは希薄でした。
1996年の『夜の子供たち』でが、ドヌーヴはダニエル・オートゥイユと深い仲に進展しつつも、ある日唐突に、ドヌーヴは自殺します。
ただし、ドヌーヴの死ぬシーンは省略されており、ある日、小包がダニエル・オートゥイユに届き、そこでダニエル・オートゥイユのナレーションにより、ドヌーヴが死んだことが語られるだけですが。
それでも、『夜の子供たち』で、ドヌーヴが死ぬ役になったことに、私たちは驚きました。
■
1999年の『夜風の匂い』では、更に、ドヌーヴがリストカットするシーンを目の当たりにすることになるのです。
この映画では、それをセンセーショナルに扱うような下品な演出手法はとられません。
クールというよりも、憂愁さを湛えた、いつになく険しい顔のドヌーヴがいます。
パリに吹く風は、ドヌーヴの髪だけではなく、生命を大きく揺るがせるのです。
夜に、ドヌーヴが、パリの街中でダニエル・デュヴァルと出会うシーンです。
ここで夜の甘い「風」が吹くのです。
それは、風ならぬ風と言った方がいいかもしれません。
1968年の革命に苦い記憶を持ち、妻が自殺したために、人生に絶望しているデュヴァルと、自殺が未遂に終わったばかりのドヌーヴ。
その2人が出会い、つつましく食事をして、ホテルへと向かうのですが、この夜のパリの撮影ほど、美しく刹那的な映像を知りません。
それは、男女の心の傷を癒されるから、美しいのではありません。
夜が美しいから、男女の心の傷が癒されるのです。
■
この映画で映し出される夜は、残酷なまでに美しいのです。
通俗的な夜のイメージから程遠く、豊饒さが漂っている夜がここにあります。
柔らかなフォーカスによって撮影された、晩春の夜のとばりが落ち、暗い街の翳りの中に広がる赤い色の見事さはどうでしょう。
デュヴァルが乗る赤いポルシェ、ドヌーヴの朱色のコートやジャケット、ドヌーヴが歩く度に見える赤いソール。
なぜか、甘さという言葉を使いたくなる、魅力的な赤です。
■
そして、ドヌーヴとデュヴァルという男優と女優の、寡黙な佇まい。
日本映画の貧乏ったらしさや、近年のハリウッド映画の成金趣味とは異次元のヨーロピアンで大人の気取らないエレガンスがここにあります。
これを、ドヌーヴの至高のベストNo.1としたいと思う次第です。
■
言うまでもありませんが、ここで描かれる大人のドラマは、洗練されたスタイリッシュなドラマとか、成熟した男女の華麗な恋の物語という領域を超えています。
2人の間に「風」が流れたあと、デュヴァルはホテルにドヌーヴを残し、自室で服薬自殺して、この映画はプツリと終わります。
その絶望と美しさと豊饒さとが、表裏一体となった、この映画は、観る者に鈍い感動を残すのです。
■
ラストシーンでは、ジョン・ケールの美しいピアノ曲も同時に流れます。
映画音楽としても最高の部類ではないでしょうか。
ジョン・ケールとは、ルー・リードらとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成し、アンディ・ウォーホルの薫陶を受けた、ガレルの旧知の音楽家です。
(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1枚目に参加しているニコは、監督フィリップ・ガレルのかつての妻です)
■
撮影はあのキャロリーヌ・シャンプティエ。
ゴダールの『右側に気をつけろ』『決別』で知られる撮影監督です。
撮影監督によって、この上なく豊潤なパリの夜がフィルムに映しとられています。
こうした豊潤さと無縁で生きてきたことに、恥ずかしくなるほどです。
(なお、ジュリエット・ビノシュの『溺れゆく女』でも素晴らしい撮影が観られます)
■
監督のフィリップ・ガレルの名前は、日本では、あまり馴染みがないかもしれません。
フランスでは、ガレルは神格化されています。
それは、アメリカのコッポラだの、スコセッシだのの比ではありません。
ガレルは、ゴダール、トリュフォーらのヌーヴェル・ヴァーグのあとを引き継いだ、フランスの監督たちの1人です。
(ほかに、ドワイヨン、ユスターシュ、そして『ポンヌフの恋人』のレオス・カラックスがいます)
(そして、この映画のダニエル・デュヴァルのモデルが、自殺したユスターシュであるようです)
13歳から映画を撮り始め、「恐るべき子供」と呼ばれ、1969年にデビュー。
初期のアンディ・ウォーホルの影響を受けた前衛的な技法から、ゆるやかな変化を続け、
キャメラワークや編集の小細工を一切しりぞけ、古典的な清澄さを特色とする、寡作の作家です。
そんなガレルに、ドヌーヴは長年ラヴコールを送った結果が、この美しい作品に結実しました。
(固定画面で、役者たちに即興的な演技をさせ、一発撮りをするそのスタイルには、ドヌーヴは当惑したと言っています。)
※この稿未完
#映画好きな人と繋がりたい
#洋画好きな人と繋がりたい
#女優好きな人と繋がりたい
#女優さん好きな人と繋がりたい
#女優好きさんと繋がりたい
#エレガンス
#ブロンド
#モード
#クールビューティ
#フランス女優
#カトリーヌドヌーヴ
#カトリーヌドヌーブ
#女優志願
#女優志望
#クラシック映画
#最も偉大な女優
#cinemaclassic
#classicmovies
#vintagemovie
#actress
#elegance
#actrice
#catherinedeneuve