ちょっと思い出しただけ



あらすじ

「バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画をつくったら」「くれなずめ」など意欲的な作品を手がけ続けている松居大悟監督のオリジナル脚本を、池松壮亮と伊藤沙莉の主演で映画化。ロックバンド「クリープハイプ」の尾崎世界観が自身のオールタイムベストに挙げる、ジム・ジャームッシュ監督の代表作のひとつ「ナイト・オン・ザ・プラネット」に着想を得て書き上げた新曲「Night on the Planet」に触発された松居監督が執筆した、初めてのオリジナルのラブストーリー。怪我でダンサーの道を諦めた照生とタクシードライバーの葉を軸に、様々な登場人物たちとの会話を通じて都会の夜に無数に輝く人生の機微を、繊細かつユーモラスに描く。2021年・第34回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、観客賞を受賞。

              映画.comより


シネマの箱の評価:★★☆☆☆



レビュー


松井大吾の作家性の共通点として「ホモソーシャル」がある。今作に関しては多少「男ノリ」は薄れているが、それにとって変わり「内輪ネタ」があまりにも強い。内輪ネタもホモソーシャルも似たような意味ではある、という点で、この人の作家性は一貫している。
特に感じたのは、この作品の成り立ちである。
尾崎世界観がジム・ジャームッシュの「ナイトオンザプラネット」に影響を受けて作った曲に着想を得て松居大吾がこの作品を作ったそう。
この時点で、「内輪ネタ」大好きな松居大吾が撮るとなると、ジャームッシュファンとしては危険を感じる。
と思ってた矢先に、危惧していたことが多発。
主演二人の「ナイトオンザプラネットごっこ」が多発する。なかなか観ていられない。内輪ネタが作風の監督が、自身の趣味を作品に反映した時の悪い方向に走りまくっている。
ある一定の映画好き層へのウケを狙ったような消費的な一面、その他の大衆に対して「こんな良い映画を俺は知ってるぜ」と言わんばかりのオシャレ気取るための一面、こういった消費的な使い方をしているナンセンスさである。
内輪ネタで盛り上がって作った作品と、映画内の2人のやり取りの内輪ネタ、このダブルの面からの内輪ネタがあまりにもナンセンス。
例えれば、教室のど真ん中で数人が彼ら独自の遊びで騒いでいるのを側から見させられてる気分。
まさに学生の延長の気持ちで撮った内輪ネタ作品。

もう一つ、日本映画あるあるかもしれないが、説明過多な面がある。
映画とは、言葉だけでなく、映像、音楽、編集など様々な芸術的要素からなる総合芸術だ。
問題のシーンだが、タクシー内で伊藤沙莉演じる葉が、池松壮亮演じるテルオと喧嘩をする、というシーンがある。
そこで葉が「追ってこないのかよ」と独り言を言う。このセリフは説明過多なのである。そう思わせたのは、あの状況でその言葉をリアルに発するか、という疑問と、伊藤沙莉の演技が不自然であることもある。あのセリフを言わずとも撮り方や彼女の表情で言葉にせずとも、彼女が感じた気持ちを観客に伝える。それが演出であり映画の醍醐味であるはずだ。

唯一、上手い表現だと感じたのが、水族館で2人が追いかけっこをするシーンである。
あれはまさに、2人の関係性のメタ的な構造である。
葉は、テルオに対してベクトルが向いているが、テルオは常に自分の内側にベクトルが向いている。それを表すシーンは、葉が常にテルオに対して「自分のためでしょ」と発言したり、テルオ自身も「自分の中で決断してから葉に伝えたい」という内の中で解決したい人間であることがある。
それをあの追いかけっこのシーンで、「追いかける側」が葉、「追いかけられる側」がテルオになることで、彼ら2人のメタ的な構造として表現されている。
あのシーンが撮られた理由がそれしか見当がつかないというのが本音だが。(なんで閉館後の水族館に葉が入れるんだという疑問から)