思い出の撮影作品 6 | 辛口Kazzy Sugaの不動産投資とこだわりの世界

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2ちゃんねるの「バリューブロガー不動産投資」でクソ大家から誹謗中傷され最高裁まで争った結果を公表しています。過去ログに名前と住所も載ってますので、特に福岡在住のMは、賃貸フェアで見かけたら指さして笑ってやって下さい♪

トヨタ・スープラ  販売期間 1986年 - 1993年

スープラは、トヨタ自動車で1987年から2002年まで製造・販売されていたスポーツタイプのクーペ型の後輪駆動乗用車である。
ラテン語で「至上かつ最高」「上へ」「超えて」と言った意味だそうだ。

新車発表のCMを任されたのは、1988年のバブル前だった。
この頃はCGもなく合成技術なんて無く、全て実写で撮影しなければいけない。



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この撮影で一番難しかったのは、フロントフェンダーの真上2Mくらいにカメラを固定るる事と、これにカメラのシャッタースピードを無線でパルスを飛ばして、「ユニラックス・ストロボライト」のライトと連動させる事だった。
映画用カメラは1秒間に24コマで撮影すると、映写機は24コマで動くので普通の動きで見える。
15コマで撮影した映像は、早送りとなりチョコマカ動くように見える訳ですね。
60コマで撮影した映像は、スローモーションとなりゆったりとした映像で観れる事になる。



ユニラックスは、本来カメラとは有線で繋げる事を想定して作られました。
カメラのシャッタースピードと連動して、高速でストロボを発光させる事に寄り、雨の様な映像も一粒一粒がキレイに撮影できる機材です。
現在はデジタルハイビジョンはこれを普通に撮影してしまいますが、当時はそんな物は無い。

アメリカでアカデミー賞の機材部門で「オスカー」を取った当時有名な機材でした。
今回は60コマで撮影して、無線でユニラックスを点灯させる事となった。
パルスを無線で飛ばすには、私の技術では出来ないので「不二技研」に相談して専用機材を作って頂いた。

スープラにカメラを取付けるには、現車を見るしかありませんね。
トヨタの貞宝スタジオに行って、現車を確認して寸法を全て計ります。
スープラのフロントにもカメラとスモークマシン(煙を出す機材)も取付ける事になり、総重量30キロに耐えられるように作らなければいけない。

1週間に及ぶ製作期間を過ぎて、ユニラックスの撮影となる。
場所は調布飛行場横の米軍住宅跡地(現在は味の素スタジアム)で、夜の撮影となった。
新車発表前のクルマをスクープされてはいけませんので、厳重なガードマンの監視下でテストは行われた。
昼間に行われた、フロントのカメラマウントとスモークマシンのテストもOKがでた!



左フェンダー上に取り付けたカメラマウントとユニラックスの撮影は困難を極めた。
パルスが上手く受信しなくストロボが発光しません。
何とか現場で調整して、ストロボと連動したのが朝方だった。
陽が昇ってしまっては撮影はできませんが、何とか連動できたので良かった。

さて、その他の走りのロケ場所は、北海道の旭川から少し帯広に向かった所にある糠平温泉だ。
温泉の近くの一般車が通らない県道で撮影となった。
カメラカーとの並走は問題なく終わり、単独での走りは道路に「散水車」で路面を濡らしての走りで、滑り易く難易度が高いが、ドリフトさせるギリギリの走りが要求された。

フロントのカメラマウントの撮影も3テイクでOK。
走りの撮影で見えない部分は私が運転をして最後のスピンターンは、トヨタの要望でトヨタのワークスドライバーの「ジェフ・リース」の起用となった。

屋根を外して、当時から毛の薄いジェフを見せたかったようだ。
テストは私が何回も行ったが、実はプロのレーサーは「スピンターン」何て事をした事がない。
横に乗せて見本を見せて、何テイクかでOKカットが出て終了となった。

その後、何度もスピンターンをやったおかげで、クルマが捩じれてしまい屋根のトップが付かなくなってしまった。
この当時のタルガトップのクルマは、ボディ剛性が低くサンルーフを明けたままサーキット場を走るとクルマが捩れて、サンルーフが閉まらない事が結構あった時代だ。

TOYOTA 3000GT New SUPRA 発表
広告代理店:株式会社南北社(現 株式会社デルフィス トヨタのハウスエージェンシー)
プロダクション:株式会社パラゴン
監督:不明
撮影:不明



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