冒頭にあった、ピアスの穴を開けるシーン。
あの時にもう、何かを感じさせられていた・・・。
男子の身体で生まれてきてしまった女の子ララ。
要するにトランスジェンダーですワ。
先々、性転換手術を受けることが決まっていて、現在はそのためにホルモン療法などで治療中のララ。
そんな生活の苦悩が、ナレーションや音楽(BGM)のないドキュメンタリー風な映像と、淡々とした会話のみからビシビシ伝わってきて、いやもう、ただただ胸が苦しかった・・・。
女の子としてバレエ学校に入学したララ。
男子の身体でトゥシューズを履き、しなやかな女子のダンスを踊らねばならなず、脚はもちろん、色んなところを傷だらけにしながらも踊り続けるララの姿は、観ているだけで辛い・・・。
バレエダンサーになるのでなければ、そこまでの苦悩を味わわなくてすむのだろうけど、そのバレエこそが、ララには「女の子」になることの完成形なのかな?、って気もしたワ。
この、激しいダンスのレッスンの様子は、ララの内面とリンクしているようで、本当に胸が詰まる。
学校はもちろん、生徒たちもみんなララのことは分かっているんだけど、やはり、違うのよね。
現代のヨーロッパ(ベルギー)が舞台だけど、そういう点はまだどこも同じかも。
父親はララに理解を示し協力するも、常に言葉少ないララの心の奥の奥までは吐き出させることは出来ず・・・。
何も悪くなくて優しい父親なのに、辛さや本音を全く出さない(出せない)ララの気持ちがつかめず悩む姿は、ララのレッスンシーンと同じように観ていて辛い。
ララの家庭の事情や、バレエ学校入学前までのことなどははっきり分からないようになっていて、全て会話から読み取るしかない。
母親はいないらしい父子の生活で、ララの問題を抱えて働く父親に感情移入した観客も多かったと思う。
実際、上映後に「あのお父さんが可哀想だったね」と話していた初老女性グループもいたし。
ララを演じたのは、撮影当時15歳だったという男の子。
彼の、「男の子」としての身体を全て見せる場面もあるけれど、それがあるからこそ、描かれている世界に「映画」ということを忘れてリアルさを感じた。
レッスン着の時のララの、やや膨らんだ股間あたりを映すシーンも多々あったけれど、あれだって必要なシーンだと思う。
それだけが「性差」なのか?、と思う人もいるだろうけど、そんなのは人それぞれだよね。
マツコちゃんみたいに、付いているけど「女」って考え方だってあるし、無くても男、ってのもあっていい。 本当にそれぞれ。
ただ、ララにとっては男女それぞれのシンボルがあっての女、男という考え方なのかもしれないし。
ある男の子との濃厚な性的なシーンも、ある意味それを表していて、自分自身の再確認と決別のようにも感じられた。
ああいうのが一切無くただ顔の表情だけだったら、ララの内なる苦悩がどこまで感じられたか・・・。
父親に同情していた初老女性グループとは別に、終了後いきなり顔見合わせて笑い合っていた女性グループもいた。
どう感じようと自由だけどさ、アタクシ、その仲間じゃなくて良かったワ~。
だってアタクシ、終わるまで涙どばーっ!だったもん。