「昭和・平成日本の凶悪犯罪100」より 北海道カレー店妻娘殺害事件(2008年)② | パキスタン人旦那と共に歩む人生

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ネパールではカーストの最下位だった

 シュアムと智江さんがネパールのカトマンズで出会ったきっかけは、彼女が銀細工を学ぶためにネパールの工房を訪れ、そのスタッフにシュアムがいたことだった。05年、06年と2度、智江さんはネパールを訪れているのだが、2度目にネパールを訪れたときからシュアムと付き合い始める。そして、07年4月にはシュアムを日本へと呼び寄せ、北海道で結婚生活をスタートさせた。07年10月には子供も生まれ、ネパールの洋服やアクセサリー、そしてシュアムが造った銀細工などを売る店と、カレーレストランをオープンさせた。

 

 だが、日本で生活を始めて約1年、2人の結婚生活は最悪の形で幕を閉じたのだ。
私はシュアムの生まれ故郷であるネパールを訪ね、1カ月半にわたって取材をした。
彼はネパールの首都カトマンズからバスで2時間、さらに山道を2時間ほど歩いたマットラという山村で生まれた。ネパールでは今もカースト制度が人々の生活を縛っている。シュアムはカースト制度のなかで最下位に位置する鍛冶屋のカーストに属し、村の一角に彼の一族が固まって生活していた。指輪などを作る銀細工の職人は、鍛冶屋のカーストが担っている。

 

 10歳の頃には彼は村から首都カトマンズへ出て、1人の銀細工職人のところで技術を学びながら働いた。彼の一家は”土地を持たない”ために生活が厳しく、シュアムがカトマンズで職人に弟子入りしたのは”口減らし”の意味もあった。私は、カトマンズで今も銀細工職人を続けている、シュアムの師匠を探し当てた。
「村から出て来た当初は真面目に働いていたけど、数年して仕事を覚えると、酒を飲んだりタバコを吸い始めて、どんどん生意気になっていったよ。結局私の家から30ルピー(当時のレートで60円)ほどのお金を盗んで出て行ったよ」
 さらに取材を進めていくと、驚くべき事実にぶつかった。シュアムは智江さんと出会ったときにはすでに妻子がいたというのだ。
「シュアムにネパール人の奥さんがいることは、みんな知っていたと思うよ。知らなかったのは、智江さんだけじゃないかな」
 工房の同僚によれば、シュアムの妻は毎日工房に来て働いているという。シュアムの逮捕により、自ら生活費を稼いでいるというのだ。
 工房を訪ねてみると、広さは畳二畳分、高さは160センチほど、工房というよりは物置き小屋と呼んだほうがしっくりくる。銀細工をするための工具が所狭しと置かれていた。

 

 シュアムの事件のことで日本から取材に来たと告げ、「ここにシュアムの奥さんはいますか」と尋ねた。すると、手前で作業をしていた男が、黒いサリーと呼ばれる民族衣装を着た女性を指差した。
「あなたはシュアムの奥さんですか」とあらためて直接その女性に聞いた。すると彼女はすぐに、「はい」と返事をした。事件を知っているかと尋ねると、「知っている」と頷いた。

 

 彼女は14歳のときにシュアムと結婚し、6歳になる娘もいると言った。工房では話しづらいこともあり、後日、彼女が暮らしているアパートを訪ねて話を聞くことにした。
 彼女は、木製のベッドと煮炊きをするコンロだけが置かれた、四畳ほどの部屋に娘と2人で暮らしていた。カーテンを買う金もないのだろう。強い日差しを避けるために、窓には新聞紙が貼ってある。生活ぶりからは貧しさが滲み出ていた。
 彼女の名前はビマラ、年齢は23歳。智江さんに会ったことがあるかと尋ねた。
「彼女については1回見かけたことがあったけど、話したこともありません。夫が工房に彼女を連れて来たとき、私も工房にいました。すると夫はすぐに彼女を連れて出て行ってしまったんです」
 その後、シュアムは智江さんとネパールで結婚の手続きをして日本に向かったのだが、その経緯を彼女は知っていたのだろうか。
「夫が、日本人の女と結婚して日本へ行くことは知っていました。夫はそのことを隠し続けていましたが、工房の人間が教えてくれたんです。すぐに私は反対しました。そんなことは許せなかったからです。カトマンズにあるNGOにも助けを求めに行きました。NGOは動いてくれませんでしたし、夫は3年か4年働いたら帰って来ると言ったので、最後は日本に行くことを認めたんです」
 シュアムは智江さんを騙し、出稼ぎ目的のため日本に行ったのは明白だった。智江さんを殺めただけでなく、カトマンズにいる妻子までも傷つけていた。

 

 さらにカトマンズで取材をしていくと、シュアムはたびたび暴行事件を起こしていると証言する人物にも出会った。実際に警察署に足を運んで、シュアムの名前と年齢で照会してみると、2回の逮捕歴があることがわかった。7年前と5年前に傷害事件を起こして逮捕され、7年前には1カ月刑務所に入っていた。

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以下、八木澤高明氏著書の「日本殺人巡礼」より、一部、抜粋します。

 

*     智江さんは、バックパッカー仲間の日本人女性から「すぐに結婚しちゃ駄目だよ」とアドバイスされていた。

**    シュアムは最下位のカースト「ダリッド」と呼ばれる不可触民。シュアムの姓「カミ」は鍛冶屋のカーストであり、死牛馬の処理をするサルキ、服の修理をするダマイなどとともにダリッドである。

***   智江さんから送ってもらった航空券で渡航、日本入国前に酒を飲んで前後不覚、暴れ出し、入管で拘束される。

****   ネパールでの逮捕歴に加え、ネパール人妻への暴力も酷かった。しかし、彼女は八木澤氏のインタビューに対し、暴力はなかったと否定。

シュアムが日本に行ってから、アパートに移り住み、娘も私立学校から公立へ。

シュアムはネパール人の妻に智江さんのことを「日本へ連れて行ってくれるスポンサー」と言っていた。

***** シェアム、ネパール人妻はともに日本でいう中学生ほどの年齢で、村で結婚した。

ネパールでは、農村部の一部などで事実婚のような形をとることがあり、結婚証明書などもなく、既婚者であっても外国人と結婚する場合に必要な独身証明書が容易に作れてしまう。

****** シュアムは、夫が中東に出稼ぎに行っており、村に帰ってきていた親戚の女性をレイプしたことがある。

******* 八木澤氏が拘置所でのシュアムにインタビューした際、「奴隷だったと思う」と答える。智江さんの両親からすれば、娘婿、娘の旦那として頼んだ家事が、シュアムにすれば、タダ働きの奴隷労働だという。己の保身に終始し、謝罪はなかった。