前回の続きとなります。

 

 

引き続きコリン・コバヤシさん著『ゲランドの塩物語 ─未来の生態系のために─』です。

 

 
 

 

ではゲランドの塩物語から引用させていただきます。

観光依存は可能なのか

かつてゲランド地方では、経済不況とこの地方の手工業的製塩業衰退のなかで、多くは近く大都市ナントに左官や石工として、あるいはサン・ナゼールの造船所に工員として働きに出てゆかざるをえなかった。その結果、大半の塩田は死滅していった。むろん、その頃は有機農業や自然食への関心は薄く、ましてやエコロジーなど環境への問題意識はほとんど皆無だといってよかったのである。

南フランスのカマルグでは、地中海をベースに塩田開発をおこなっている大手の塩製造会社「サラン・デュ・ミディ」社が大々的な塩田を開発し、トラクターとベルトコンベアーで大量量産の時代に入っていた。

この地方には一九六〇年代、大きなリゾート開発の波が打ち寄せた。とりわけ六〇年代後半~七〇年代初めまでの好景気ムードは、別荘建造ブームを大いにあおったのである。いま、避暑地として有名なラ・ボウルは、その代表的な例であることは前述した。

前世紀は松林と砂丘地帯の間に別荘が点在する小さな集落にすぎず、土地の人々は「砂丘」と呼んでいたラ・ボウルは、ブルジョワジーが避暑に来て、冷たい大西洋の海水にそっと足を漬けるといったおあそび程度の海水浴がおこなわれていた海岸地帯であった。

しかし、今では大避暑地として、また避暑客向けの多くの催し物があるブルジョワの町として知れわたっている。保守系の議員たちや企業家の別荘が多く、有産階級がヴァカンスを楽しむ施設は充実している。ヨット・ハーバーを持ち、ゴルフ場、乗馬、テニス場などに事欠かず、メイン通りにはパリ並の高級ブティックが建ち並び、真夏は多くの避暑客でにぎやかだ。最近では、流行の海水浴療法タラソテラピーまである。

結果的には、二キロ近い湾曲のきれいな浜辺に沿って、趣味がよいとはけっしていえない近代マンションがずらりと建ち並ぶ、どこの国にもある典型的で凡庸な観光都市となった。 海岸沿いのこれらの建物は、六〇年代後半から七〇年代に瞬く間に建てられたものばかりである。

松林の農家も別荘も、それらの建物の影にひっそりと隠れてしまった。

<中略>

当時のこの町の市長は保守政権の大臣職にあったオリヴィエ・ギシャール氏で、フランスの保守政党、共和国連合(RPR)の大物の一人であった。いうまでもなく、政党はどの政党も、政治資金を必要としていた。だから、ラ・ボウルの市長ギシャール氏が、リゾート開発に全力を尽くして政治資金作りに奔走して、ある種の手腕を発揮したとしても不思議ではない。建設業界や開発ブローカーと政治家や政党の結びつきは、今ではフランスでも日本でも公然の秘密である。それは公共事業という名のもとに、ある特定の建設企業に仕事を横流しにして、その代わりに政党や政治家個人がリベートという名の経済的恩恵をこうむるというものだ。

建設業界と政治のズブズブな関係は何処の国も共通のようです。

開発されたのは、むろんラ・ボウルだけではない。その周辺の地域全体に開発の波が押し寄せたことは、言わずもがなである。小さな漁港でしかなかったル・コワジックでさえ、無数の別荘が建てられた。幸い、ル・コワジックの別荘地は美観をひどく損ねることはなかった。

ラ・ボウルの位置ですが、破線で囲まれた地域でゲランドの南東です。

ル・コワジックはル・クロワジックと書かれたちょうどゲランドから南西です。

 

しかし、ラ・ボウルに開発が集中したおかげで、他の地域は比較的、極度な開発からはまぬがれた。また、これから語る塩田保存と復興運動が、どんなにその後の開発の荒波の防波堤になったかしれない。

今ではラ・ボウルの観光局も塩田を観光の売り物にしようと必死である。

サラン・デュ・ミディ社は、ゲランド地方の塩田といわず、不動産業者や開発業者に転売して利益をあげるために、日本の商社のように空き地を買いあさっては転売しようとしていた。

ゲランドの塩の特異性にはほとんど理解を示さず、競争相手を撲滅するためにも商社まがいの活動を展開していた。それはリゾート開発に伴った土地投機の戦略だった。ラ・ボウルの後ろにある塩田など、巨大なラ・ボウル開発計画に比べれば、興味の対象にもならなかった。その生態的な重要性や、塩の重要性にはつゆぞ気がつかなかった。

リゾート開発に大きく関わっていたのがカ〇ルグの塩のサラン・デュ・ミディ社でした。この会社との因縁がもうはじまっていますね。

幻に終わったマリーナ計画

一九七〇~八〇年代の前半まで、フランスでは沿岸づたいに、多くのレジャー港が建設された。しかし、こうした計画は巨大な予算を必要とした。ゴルフ場建設と同じで、それに付随するクラブハウスやホテル・レストラン、レジャー・センターなどのゾーンをワンセットにして売るのである。

ゲランド地方でいちばん大胆な計画は、六八年に発表されたグラン・トレのマリーナ計画だった。この計画こそ塩職人たちの最も恐れていた計画だったのである。それはコワジックのグラン・トレの入り江と塩田のあいだに一八ヘクタールの人工島を造ろうとするものだった。レジャー用船舶が停泊するためのヨット・ハーバーや水浴のための人口湖、別荘地帯を合わせ持ったその島に、ラ・ボウル方面からこの島まで一直線に高速道路を引き込もうとする、地域リゾート大開発計画であった。

この計画が完成すれば、ラ・ボウルとル・プーリガンのあいだを流れる川からの給水が立ち切られ、東部の塩田を死滅に追い込むことはあまりにも自明だった。道路はまさに塩田を断ち切るように計画され、マリーナは入り江の真ん中グラントレに位置するのである。

また観光リゾート中心の政策がおこなわれれば、塩職人に対する援助や塩田、沿岸の保護は無視され、塩田によって自然と形成されている湿地帯は消え、その生態系は破壊されてしまうにちがいなかった。

七〇年には、すでにリゾート住宅の設計図も完成し、入居希望者リストまでできていた。建設許可はすでにおりていたのだ。そして、マリーナまで貫通する高速道路の計画が現実化してきた。この計画は何人かの自治体の長と議員は知っていたが、住民はまったく爪弾きされたままだった。

ゲランドの塩田を本気で潰すつもりだったのかもしれません。

リゾート計画は、その商売全てが観光と避暑に頼ることになるため、オールシーズン客を誘致できるものではないんですね。

バカンス以外は人影もなく、多くのホテル、レストランは夏場しか経営されないのが現実で年間を通じて安定した収入を得るのは困難です。 そんな一過性のものに一度譲り渡してしまえば、ゲランドの塩田は元に戻せないわけで、そりゃあもう反対するでしょう。

この計画にたいして、当然、塩田で働いているサイエやトレガテ、バ村の塩職人たちは反対運動に立ちあがった。わけても塩職人の夫とともに家族ともども、代々塩田に生きてきたトレガテ村のミッシェル・モンフォール夫人の働きはきわめて重要なものだった。闘いは数年に及んだ。「ゲランドのパッショナリア(〈皮肉を込めて〉情熱的女性革命家のこと)」と呼ばれた彼女の強固な信念と何者も恐れない毅然とした態度が、多くの人たちを結集させた。彼女は村に塩職人の労働組合を作り、その会長を務めた。夫君のモンフォール氏はおそらく、馬を使う昔ながらの塩田耕作をおこなった最後の塩職人だった。それゆえ、代々続いた塩作りの方法を肌で知っていた。モンフォール夫人は、夫とともに製塩業を営むかたわら、育児と家事に追われ、そのうえ組合活動に関わっていたのだから、その苦労は並大抵なものではなかったはずである。

当時のさまざまな反対運動を積極的に担った市民の一人に、ジャクリーヌ・ド・マロイユ夫人がいる。この人の祖先は由緒のあるブルジョアである。先祖は一八世紀にメスケールの市長で、四隻の商船を所有し、ゲランドの塩をイギリスやアフリカに輸出していた商人でもあった。

塩漬けした魚の輸出もしていて、ゲランド塩を使うと漬物が長持ちし、他の塩では保存状態がよくないことも代々受け継がれてきた家族の知恵であった。だから、塩と縁があったおかげで、この地の塩の重要性をよく知っていた人で、この地方をこよなく愛する郷土愛の強い裕福な市民の一人だった。

ここちょっと大事なこと言ってますね。

ブルターニュ産バターで有名なものに発酵バターがあります。

著者も、フルール・ド・セルで作られた発酵バターは絶品だと言っていますが、残念ながら、ロックフェラー小麦を使ったお菓子に利用されていて、尚且つ乳製品でもあって、そこは残念なところなんですけど、発酵、ここに着目してほしいです。

ゲランドの塩の最も有効的で相性の良い食材は漬物や発酵食品だと思います。

塩漬け、塩麹、手作り味噌すべてゲランドの塩で作るようにしてみましたけれど、美味しいですね。

六八年からメスケールの近くメルケル湾にもやってきたリゾート開発の波は、まず八〇〇軒の大リゾートマンションの建設だった。

ある日、町の知人が連絡してきて、「マロイユさん、たいへんですよ。知らない間に海岸に変な看板広告が立っているんですよ。「マンションを自由にお選びください」とかって書いてあるんですよ」。

それを聞いた夫人は慌てて見にいった。そして、この計画を知ったのである。塩田がなくなるなんて、許しておけなかった。急いで市長に会いにいき、抗議した。 隣村シャペル・ド・マレの村長ルグラン氏も彼女を支援してくれた。そして、「メスケールを愛する友の会」を六〇人ほどで結成して住民運動を開始し、結局、六ヶ月後にはこのマンション建設計画を中止に追い込むことに成功したのである。

七一年になって、隣町の市民団体「コワジック友の会」から連絡があって、グラントレのマリーナ計画を知らされた。彼女たちはとにかく、地元住民に何の相談も打診もないことに怒った。それからさまざまな団体に声をかけて連絡網をつくると同時に、精力的にナント市に出向いて、県の施設局や農業局に陳情に行った。

長い伝統的家系と篤いカトリック信者で、伯爵号さえ持つド・マロイユ夫人は、家系の強さからか、女一人でも怖いものはなかった。リゾート計画を立てている有名な建築家デューセ氏にも会いにいったし、パリの農水省まで出向いて農水大臣デュアメル氏にも直接面会を取りつけて直訴した。この最後の陳情は共鳴を呼んで、大臣は第一副大臣にこの問題の検討を指示して、県にたいして、農水省の許可がないかぎり勝手に建設はできないと手紙を書くことを、彼女に約束した。

<中略>

七一年、環境・国土整備・観光省はゲランド地方に大規模な補助金を出すことに決定した。それは以下の五点について援助された。①海の浄化、②海からの防護、③観光/文化活動の助成、④自然保護区域の指定、⑤水産業およびそれに付随する産業の開発に伴う製塩業の援助、である。

この五項目をみると、自治体や国は、あたかも、塩田やその自然環境、塩職人の未来に注意を払っているかのように見える。しかし、塩田の死活問題であるマリーナ計画にはいっさい触れず、基本的には観光に重点を置き、それに伴う諸々の条件を整えようとしたにすぎない。塩田には、いわばアメリカのネイティヴ・インディアンの居留地のように小さな区域が与えられ、塩田保存会を作り、小さな区域の一角で、観光客に「昔はこのように塩を収穫しました」と見せればそれでよいと、開発側は考えていたのである。

ちょっとこれ酷いですね。

地元住民に何の連絡もなく勝手にやるというのがあり得ないですね。

道路計画もおしかえす

七二年、マリーナ計画に付随した高速道路計画は、この時点ですでに図面上では決定されていたのである。しかし、道路の建設費の見積りはおろか、土地収用にあたって、対象となっている土地の所有者もわからず、また建設費を負担すべき各自治体には何の知らせもなかった。

ゲランド市に提出された公開調査には、住民からの反対意見が山ほど寄せられたが、ストップはかけられなかった。また同時に、反対派住民は、七三年から三年間にわたって、この道路計画を不当だとして行政裁判の法廷闘争も展開した。 しかし、高等行政裁判所でも、フランスの行政裁判の最高府コンセイユ・デタでもみごとに敗訴してしまったのである。コンセイユ・デタは、このマリーナと道路計画を国、県が受け入れることのできる公共利益のあるものであると見なして結審した。

だが、この裁判での敗北にもかかわらず、塩職人と反対派住民はリゾート計画に勝利を収めたのである。というのも、コンセイユ・デタ判決の後、道路建設に関与する五つの地方議会のうち三つの議会で、建設費の地方負担分の予算が否決されてしまったからである。ゲランド市においては、計画に賛成する市長がいることもあり、無記名投票をおこない、一人の議員を除く他のすべてが反対票を投じたのである。

住民たちは五年近い反対運動の動向に注視し、デモや集会に参加したりするなかで、この計画のもたらす結果をよく知っていた。民意は大半が反対だった。また反対勢力にとって幸いし追い風は、七〇年代最初の第一次石油ショックだった。レジャー観光業界や不動産業が頭打ちになり、急激な不況が押し寄せた。開発ブローカーたちが懐具合を気にし始めた。地方自治体も当然予算捻出のことが心配になってきており、いくつかの市町村が、反対運動のほうになびき始めていた。予算内容の不透明な部分の用途をめぐっても議会でもめ、すでにリゾートブームに懐疑的になっていた少数の推進派議員たちや大多数を占める反対派の議員たちによって、反対多数で予算案が議会を通過できなくなってしまったのである。

こうした地域運動において、日本では、水俣でも三里塚でも、新潟県巻町の原子力発電所でも徳島の吉野川可動堰でも、地元の住民が現地で直接的な行動を起こすことによって、政治的に決定的な影響を与えたことは多くの人の知るとおりである。フランスでも、ゲランド以外にも、ラルザック軍事基地拡張反対、ロワール河のダム反対運動や、原発建設反対など、こうした事例はけっして少なくない。

ただ、七〇年代初頭にはまだ塩田があったカルナックやサン・モルフでも、同じような危機的な状況を体験したが、住民の支援運動が生まれなかったために、結局、塩田は消滅してしまうのである。

その後も、観光開発の動きは常にあった。そのたびに、ゲランドの人々はそれをはねのけてきた。廃棄物処理場や、他の多くは道路の拡張計画、別荘建設のための土地買収計画だった。

とくに前者は不要な土地として塩田がすぐ対象になった。こうした開発や都市計画を通じて、塩職人たちはさまざまなことを学んだ。

マリーナ計画を通じて、塩職人たちが自覚した点は、外からやってくる開発計画によって、自分たちの土地が台なしになるということだった。塩田の保護がまず最初に果たすべき目的となった。またマリーナ計画反対運動のなかで、環境保護運動のさまざまな団体との交流を通して、生態系の保護やゴミによる公害等も当然大きな課題となった。七〇年代初頭から多くの生物学者や生態学者、民俗学者が、塩田を研究し始めていたのである。

勇気ある行動は人の心を動かすとはまさにこれのこと。

こうした地元住民やゲランドの塩職人たちによる塩田を守るための努力がなければ、今こうしてゲランドの塩を食べることもできません。

 

ちなみにオイルショックは、ロックフェラー、ロスチャイルド、キッシンジャーによって意図的に起こされたもの。

 

フランスではデモが多いですが、日本では、デモというと「変わった人たちが行う過激な行為」とみられがちです。しかしフランスでは、人々の声を政治に届ける行為を意味しているそうです。

まぁ、革命という負の遺産の名残もありますし。

ただ、行動力はすごいので日本も見習ってほしいところはあります。特に厚労省に対して。

 

ところで5月31日に日比谷でデモが行われるようですが、主催がサイエントロジーであり、このサイエントロジーはビル・ゲイツと繋がっています。

それなりの知識を持っていないとハーメルンの笛吹きや

 

少年十字軍みたいになってしまうかもしれません。。。

どちらも悲惨。

 

 

主催がサイエントロジーである以上、抗議される側も茶番だとバレているわけで。ただ、茶番のなかでもこれだけ反対する人間がいるんだという牽制にはなるかもしれません。

せっかく反枠という立場になっても、波動を体感できない以上参政党やサイエントロジーやスピ系のインチキに騙されてしまう人が多数います。

本当の意味でこれからのレプリコン地獄を生き残るためには、承認欲求を切り捨て波動を体感できるようになることが必要だということです。

 

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