前回の続きとなります。

 

 

引き続きコリン・コバヤシさん著『ゲランドの塩物語 ─未来の生態系のために─』です。

 

 
 

 

ではゲランドの塩物語から引用させていただきます。

南仏塩田との競争は相当厳しかった。 ゲランドの塩職人の数も、一八四〇年では二三五〇人で、四〇〇〇人近い販売人が全国を駆け回って、塩と穀類を物々交換し、ゲランドの市場に提供していた。しかし、一九三四年には三七〇人、一九七三年では二四八人と極端な下降を辿った。家族で営まれた産業形態は、子どもたちの塩田離れが続くにしたがって、崩壊していったのである。

第二次大戦後になっても、塩職人の生活は苦しくなる一方で、塩の販売価格は相変わらず仲買業者の一方的な決定権に握られたままだった。所得はいっこうに向上しなかった。とくに一九四九年と五五年の大収穫(七万トンと九万トン)は、仲買業者と塩職人の関係をむしろ悪化させこそすれ、向上させなかったのである。こうした状況は二〇世紀初頭や一九二〇年代と酷似している。また、生産者側の分裂状態をいいことに、仲買業者はそれを利用して、五五年から六三年のあいだ、安い購入価格で取り引きができた。

他方、当時の塩需要の一五%しかゲランド塩が満たしていない事実は、塩市場のなかで有利な交渉を困難にしていた。こうした諸々の条件は、後の章で述べる塩田再興と自律運動に繋がるバックボーンを形成していたのである。

ちなみに、給料を示すサラリーという言葉は、当時の兵士の給与として塩(原語、サラリウムsalarium)が与えられてきたことから派生している。このことをみても、塩と経済の密な関係が知れる。

 

ゲランドの製塩業は、家族経営で、半分塩業半分農業といった兼業スタイルが主だったそうです。そのため、大発展を遂げる可能性は小さく機械化の進んだ南仏塩業とは相当苦戦を強いられたそうです。

現代のグローバル化が進む大企業にとても太刀打ちできないのが国内の町工場、農業、漁業といった零細産業です。

今でこそ、円安が進んでいますが、円高だろうが円安だろうが野菜の値段は変わりません。我が家では直売所を主に出していますが、価格を特につり上げたこともありません。

ちなみに今キャベツが高いとお嘆きの方多いと聞きますが、この時期はいつもそうでキャベツが高いのは端境期だから仕方がありません。自然の流れなのだから思い通りにならないことです。作る方も大変なんですよ。

自然に逆らおうとして作ろうとしてもいいものはできません。そこは受け入れるしかないと思います。

原発誘致と反対運動の蓄積

ブルターニュの歴史的背景と塩業を簡単にたどってきたが、現在焦点化されることの多い環境問題を考えるためには、ゲランド地方を個別にみるだけではなく、広くブルターニュの特異・歴史性を考慮に入れなければ、理解はむずかしい。

<中略>

フランスは原子力開発を核兵器開発から始めて、今までに建造した原子炉が五三基ある。 高速増殖炉計画、核廃棄物の再処理などを考えても、世界の中でも日本と並んで、抜きんでて核開発を進めてきた国である。いわば、エネルギーはすべて原子力という政策を採ってきた。だが、原子力からの脱出は世界共通の難題だ。最後に出る核のゴミの処理法を持たないのに、開発ばかり進めてきてしまったツケが今、回ってきている。

この地域に話を戻すと、七六年から始まったブルターニュの最西端、フィニステール県の岬に近いプロゴフの原発計画は、住民による強い反対運動にでくわした。高速増殖炉スーパーフェニックス反対の大デモのうねりが冷めないこともあったが、七八年九月の最初のデモは五〇〇〇人、一週間後のプレストのデモは一万五〇〇〇人に膨れ上がった。それからというもの、八〇年まで、数千人から数万人のデモがしばしば組織され、同年二月、三月は、毎日のようにデモや建設予定地でのピケが繰り返された。三月一六日の反対集会はほぼ六万人近い参集者を見た。

火炎瓶と催涙弾の応酬や、度重なる機動隊との衝突と弾圧、逮捕者を数多く出しながらも、反対運動はけっして収束しなかった。現地の四分の三の住民が機動隊の暴力に反対署名をした。プロゴフ村の村長や第二次世界大戦時の旧軍人が最前列に出て、バリケードを守ったりもした。

反対派は「ブルターニュのパレスチナ人」と呼ばれたほどである。裁判所でも、逮捕された仲間に対する激しい支援闘争が展開された。そしてついにこの反対闘争は勝利したのである。この経験はブルターニュ地方に環境保護の強い伝統を植えつけることになった。

それは、九七年六月一日に行なわれたロワール河河口のカルネ原発計画の反対集会に、地域の住民たちが二万人も結集したことからも察せられる。カルネには、欧州新型炉を建設する予定であった。この運動によって、フランス電力公社は、計画中止を発表した。塩職人たちもこの計画に真っ先に反対を表明した。海水に放射能汚染がでて、まず困るのは海や沿岸で働く人たちなのだ。ブルターニュ西部はプロゴフ以来、反原発、エコロジー運動の重要な拠点となった。

 

フランスは、原発が多い国で有名だと思います。

フランスの原発分布図を見ていただければわかると思うのですが、かなりの数ですね。ブルターニュにも1か所あり、1962~1967年まで稼働していましたが、現在解体中です。ここはテロがあったため操業停止となったようです。

 

 

ブルターニュに稼働している原発が1基もないのは引用文にもありますように、反対運動が盛んで原発計画断念に追い込んだ成功体験がきっかけでその後の環境意識の高さにつながったようです。

ブルターニュは農業の盛んな地域でもあり、フランスの農業生産約15%を占めています。日本に置き換えると北海道みたいなもので、自給率120%中の15%なら相当の生産量だと思います。

農業もそうなのですが、保管に盛んなのは漁業、畜産業、製塩業どれもこれも原発がある地理的条件ではちょっと…という不満が強まったのではないですかね。

農業のデモもこの地域は盛んにおこなわれている印象です。

ブルターニュの人は地元愛が強く、根底に地産地消の意識があり、グローバル化を嫌います。こういう厳格で保守的なところが生かされ、品質や信用の高さにつながるのだと思います。

ゲランドの塩の品質の高さもまた、環境保全に対する涙ぐましい努力の結晶でもあったのです。

 

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