続きを書きます。

 

前回の記事はこちらです。

 

 

糖質コントロールに踏み切ったことで、脱小麦製品目指しています。小麦粉を米粉に替え、米粉を買うために大きなスーパーに行く機会が増えました。

塩も精製塩ではなく天日塩に替えました。

よく買うのはこちらの二種です。比較的安価で梅干しや漬物にするとおいしいと母が愛用しています。

 

 

※2024年6月1日追記

この二種類の塩ですが、中国・オーストラリア・メキシコなどから輸入した粗製の塩を、一度溶かして天日干しにしたもので、精製塩ではないんですけど『準自然塩』『再生自然塩』と分類されるべきものです。

ミネラルはあるにはあるんですけど、ゲランドの塩や海の精と比べますと及びませんね。

原材料表示もなかなかややこしいです。勉強しないと騙されちゃいますね。

 

塩売り場を見ますと、ゲランドの塩がありました。

 

 

 

 

このゲランドの塩を小麦製品や乳製品といった悪い方に利用し、脳内麻薬の虜になってインチキ自己肯定している日本人のなんと多いことか…。

料理動画でゲランドの塩を使っている人もいました。

正しく使っている人もいれば、間違って使っている人もいます。

良い塩だからこそ正しく使ってほしいですね。

 

ゲランドの塩とフランスの関係性について書いていきます。

 



ゲランドの塩の産地ブルターニュは、西の大西洋岸から北の英仏海峡まで伸びる大きな半島で、天然の海塩床と湿地が豊富にある地域です。

ゲランドの非常に貴重な塩の湖は、少なくとも 3 世紀のローマ時代から存在していたようです。

その後、中世にランデヴェネック修道院の修道士たちが、より洗練された塩の栽培技術を開発し、潮汐と気象のパターンを注意深く研究して完成させました。
ブルターニュは、当時の贅沢品と考えられていた商品の主要生産地として地図に名を連ねました。フランスとヨーロッパ全土に塩を輸出するための貿易ルートが開かれ、この地域に富と繁栄をもたらしたのです。

塩の役割ですが、大航海時代になるまで食物の貯蔵に欠かせない調味料でもありました。中世ヨーロッパ庶民の食生活は、意外にも麦や豆類の入ったお粥やスープをすすって暮らしていました。身近で主要な栄養源になっていたものは、エンドウ豆、ソラマメ、レンズマメといった豆類や森に自生するプラム、サクランボ、スモモ、西洋梨、りんご、アンズ、スグリ、イチゴといった果物でした。蜂蜜や香辛料に付け込んで食べるのは貴族階級や僧侶でした。

庶民が肉を食べるのは年に一度くらいだったのです。

 

※中世ヨーロッパで裕福だったのは僧侶という点も覚えておくべきです。

聖職者の方が王族・貴族よりも裕福とかざらです。

 

王族、貴族階級や裕福な市民は狩猟権を持っていたので肉を比較的容易に入手していました。

 

 

肉がどれだけ食卓にのぼるかで経済状況が分かったほどでした。肉の多くは焼いて食べることもありましたが、燻製・塩漬け・ソーセージなどの保存食にされました。

 

 

保存や調理のためにどうしても不可欠だったのが塩でした。魚にも塩が必需品でした。中でも大人気だったのはニシンでした。それは、キリスト教徒にとって金曜日と四旬節の前夜まで肉食が禁じられておりその代わりにニシンを食べざるを得なかったためです。特に内陸部ではニシンの塩漬けが重宝されました。

 

 

こうしてみるといかに塩が重要だったかわかります。

 

ブルターニュの塩はローマ時代から人気の高級品でした。調味料としての特性だけでなく、特に魚の塩漬けや肉の塩漬けなどの保存効果も高く評価されてきたのです。その後、塩は塩田の水路からドイツの国境まで輸送されて販売されました。これはブルターニュに繁栄をもたらし、製塩所は継承に関する規則に従って常に次の世代に引き継がれました。

 

今日出回っているゲランドの塩はゲランドの塩田で9世紀頃から続く伝統的な製法で作られてきたものです。海水から塩が生まれるときに一番最初にできる塩の結晶のみを集めたものは「フルール・ド・セル」と呼ばれ、海水の表面に塩の結晶が広がる姿がまるで花が咲き誇っているようであることから、世界各地で「塩の花」と呼ばれています。少量しか採取できないので、希少性が高く、ワンランク上の高級塩として扱われています。9世紀なのでこの時代のフランス王朝はカロリング朝、カール大帝の治世の頃です。かなり長い歴史があることがわかります。

 

フランスの代表的な塩の産地はゲランド、レ島(イル・ド・レ)、カマルグです。

岩塩で有名なロレーヌは1766年にはじめてフランス領となりました。

レ島は、17 世紀イギリスとフランスがこの島をめぐって争っていました。カマルグはローマ帝国による最初の塩性湿地の開拓から、中世のシトー会修道士とベネディクト会の修道士による塩の貿易に至るまで、この領土はその生産物と海岸への近さから非常に人気がありました。13 世紀ルイ 9 世の治世に修道士たちとカマルグを含むラングドックの財産を取引し、塩性湿地を通って地中海に至る有料貿易ルートの建設を進めたとあります。

 

カマルグの塩はカルディで売られていました。

 

 

カマルグの塩というのはゲランドの塩とは性質も全く異なるものです。

 

フランスと隣接する地域としてブルターニュはいち早く塩で豊かになっていました。


ブルターニュがフランスの他の塩の生産地域との競争に勝つことができたのは、ブルターニュの豊富な天然資源だけではありませんでした。
他の地域が独自の資源を十分に開発する能力を妨げた、中世の塩税を完全に回避することに成功していたためです。

「ガベル」と呼ばれる非常に評判の悪い塩税は、国家による財の独占を確保する手段として、1343 年からフランス王フィリップ 6 世によって創設されました。
しかし、当時ブルターニュは独立していたため、外国扱い。その対象にはならなかったのです。1491年のシャルル8世の略奪婚により、フランスに併合の流れをつくってしまいますが、アンヌ・ド・ブルターニュが、ブルターニュには決して塩税が課されないことを定めていたので、依然としてブルターニュの地は塩税から免除されてきました。このように、ブルターニュは特権を維持し塩の生産地として商業的に重要な役割を果たしてきました。

これにより、​​ブルターニュはフランスの製塩業界を支配し続けることができました。

またブルターニュは、隣接するノルマンディーと並んで主要な乳製品の生産地でもありました。塩は、出来上がったバターを新鮮に保ち、腐敗するのを防ぐために、新鮮な発酵乳とクリームに加えられました。この地域およびフランス周辺では、海塩入りバターが好まれるようになりました。

また、ロワール渓谷やノルマンディーなど他の乳製品生産地域のように、生クリームを手で撹拌し、その混合物に海塩を加えるという伝統的な習慣が税金の脅威にさらされないことも保証されたのです。

興味深いことに、一部の歴史家によれば、ブルターニュの税金免除により、フランスでは塩の闇市場が広く繁栄するようになったそうです。

塩は中世ヨーロッパにおいて貴重な食材でした。

食は命を繋ぐものとして欠かせません。それ故に利権の道具とされやすいです。

ブルターニュが魅力的だったのは数少ない塩の産地だったことも各国から狙われた要因の一つとも言えるのではないでしょうか。

 

塩の話は終わりますが、まだまだ脳内麻薬番外編は続きます。

 

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