脳内麻薬の続きを書きます。

 

前回の記事はこちらです。

 

 

アンヌが着ることになっている銀と金の錦織のウエディングドレスは、アーミンの模様が織り込まれ、パールビーズのヘッドドレスには宝石が散りばめられていた。ガウンの上に羽織ったウエディング・コートには、巨大な星のようなパール刺繍の花があしらわれていた。これまで着たどの衣装よりも豪華だったことにアンヌは驚き喜んだ。彼女は、ブルターニュのために、そしてブルターニュの元首である自分のために、自分が保持したいと望む権利と特権を提供するために、結婚契約書が同じように豪華なものになることを期待していた。

 

結婚式は1491年12月6日にランジェ城で行われた。

 

 

鋭い眼光を光らせる緑のドレスの女性がアンヌ・ド・ボージュ―で右隅の背の高い男性がオルレアン公ルイですね。

 

そしてその例の結婚契約書だが、アンヌとシャルルとの間で結ばれたこの条約は酷いものだった。「アンヌが国王より先に死去し、子供がいない場合、国王とその後継者であるフランス国王に、ブルターニュ公国の権利を贈与によって譲り渡し、譲渡する」と記されており、また、「国王が嫡出子なしに先に死去した場合、アンヌはブルターニュに対する全ての権利を取り戻す」

これはアンヌの意向であった。しかし、アンヌの出した要望が所々抜けていることに気づく。

 

『何これ?約束が違うわ…次男三男にブルターニュを相続させることが何一つ触れられていないわ』

 

おそらく、アンヌ・ド・ボージュ―がこのことを知ってブルターニュを独立させるきっかけをつくってはならないと書き込まなかったのでしょう。

 

『この娘、思ったよりも知恵が回るわね。ブルターニュを渡してなるものか』

 

そして最も異例な条項があった。国と国との間の戦争や悲惨な負の連鎖を避けるため、もしアンヌが未亡人となった場合、「将来の国王がもし望む場合、また可能であれば、他の次代の王位継承者と結婚する場合を除き、再婚することはできない」ことが明記されていた。

 

『完全に動きを封じられているわね。つまり一番長生きした者がブルターニュの権利を勝ち取れるチャンスがあるということになるわね…』

 

挙式の後、アンヌとシャルルは祝宴に参加した。

その後、豪華に装飾された寝室に案内された。

 

14歳の花嫁は何も言わなかったが、本当の結婚式の夜というのがどういうものなのかやはり不安だった。

 

キリスト教国では結婚は女性が処女なのが当たり前ですからね。

男性は…王族、貴族は身分の低い女中で練習するらしいです。なので童貞で初夜を迎えることはないようです。

 

彼女がベッドに入ると、シャルルがやってきて、すぐに彼女を抱きしめた。

 

『よし!やっとこの時がやってきた照れ

 

彼はため息をついた。

 

若い王は、寝室のカーテンの向こうに、レンヌから派遣された6人の証人が隠れて盗聴していることに気づかなかった。

彼らをそこに配置したのはもちろんアンヌ・ド・ボージューだった。

マクシミリアンがフランス王がアンヌ・ド・ブルターニュを略奪し、強姦したと告発することを恐れて、彼女はこの人たちに女公が自由にシャルルの妻となったことを証言するように頼んだのだった...。

 

シャルルはアンヌの着ているナイトドレスの布地に触れてみると、その下に何か身に付けていることに気が付いた。

シャルルは貴族の娘と寝たことがなかったので、そんなものを身に付けている女性は初めてだった。

 

 

「アンヌ…、君が身に付けているその…白いヒラヒラしたの…なんだけど

(ちょ…こんなので夜の身体が温まるのか?着ている女性よりその女性を見た男を温めるものではないのか?ドキドキ

 

「これはランジェリーよ。ブルトン・レースとリネンでできているわ。ブルターニュは亜麻の産地でレースの細工はカンペールの職人たちが作ってくれたものよ。胸を守るためだったり、胸の先端がガウンで擦れたり透けない様にとかそういう役割もある」

 

「なるほど」

(アンヌ、君ってやつは…隠されている方が余計そそる…ドキドキ薔薇物語には書いてないシナリオだ。予想外の展開にドキドキするんだけど。まずそのランジェリーとやらを外すことから考えないと…あせる

 

アンヌ・ド・ブルターニュはランジェリー、特にブラジャーを着用した最初のヨーロッパの王族だったという情報があります。

ソースはアンヌ・ド・ブルターニュの小説を書いたローザ・ガストンさんという女性のサイトからです。この人相当のアンヌ通で詳しいみたいです。歴史もしっかり勉強されているよう。

ランジェリーというとその言葉の響きからセクシーな下着を連想させてしまいますが、15世紀なのでそこまでのものではないようです。

イタリア語版Wikipediaのブラの歴史に次のようなことが書かれていました。

中世のヨーロッパでは、女性が胸を保持したり支えたりすることは例外的であり、もしそうする場合、当時の記述に示唆されているように、おそらく布製の紐のようなものを使用していたと考えられます。しかし1390 年から 1485 年にかけての考古学的発見により、中世では女性が実際に胸を支えていたことが明らかになりました。オーストリアの城改修プロジェクト中に、3,000枚の繊維片の中からレースで装飾されたブラジャー4枚が発見された。フランス王シャルル 8 世(1403 年 - 1461 年)の時代にはバストにガーゼのドレープが使用されていました。

オーストリアのチロル、チロルは神聖ローマ帝国のお膝元なのですが、既に14,15世紀のブラジャーがあったことが発見されています。

 

 

ブラジャーと言うよりかは下にスカートがついていた形跡があったので今でいうブラトップワンピースのようなものだと思います。東欧特にオーストリア、ボヘミア、ハンガリー等はお風呂に入る習慣があるのでそれが関係しているかもしれません。

 

出典:最後の騎士マクシミリアン 権力と愛の物語

 

江戸時代の湯女のようなお風呂で背中を流したりとか客の世話やする職があったみたいです(娼婦とはちょっと違う)

着ている服が発見されたものとそっくりです。

 

  

 

もしくは城で見つかっているので侍女が王女の入浴の世話などで身に付けていたものなのかもしれません。

 

ガーゼのドレープのブラジャー…15世紀の中世なのでリネンにレースをあしらったものではないかと。

イメージ的にはこのようなナイトドレスを着ていてその下に

 

 

こういう感じの下着をつけていたのかなと思われます。リネンだともう少しくすんだ色になるかな。貴族の娘なのでちょっとした飾りがついていても不思議ではないかなとは思いますが。

 

 

昼はコルセットで夜は現代で言うとナイトブラみたいな感覚なのかな。そういうのをつける習慣があったようです。

ちなみにこの時代は普通にパンツも履いていたみたいです。男性は既にブリーフとか履いていました。処刑の絵などで確認できました。日本だとこの時代は褌ですね。

 

アンヌ・ド・ブルターニュ、これから先の記事でも明らかになってきますがいろんな意味で先駆者です。何故この人が歴史の中に埋もれてしまったのか不思議です。

 

続きます。

 

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