続きを書きます。

 

前回の記事はこちらです。

 

 

コンスタンティヌスがキリスト教を国教としてから、キリスト教徒たちは、教会に必ず税を納めなくてはならなくなりました。
この教会税は、キリスト教徒たちの負担になっていて、古代から現代までのキリスト教徒の生活に大きな影響を与えていました。それどころか、 ヨーロッパ諸国の歴史にさえも大きな影響を与えてきた言っても過言ではありません。

 

この教会税があるために、政府が民衆から税を十分にとれず国家財政が厳しくなり、政権が倒れたり、国の制度が大きく変わったりしたケースが多々あります。
 

このキリスト教会も、最初から 「税」だったわけではなく、キリスト教の歴史の中で、だんだんにそういう流れになっていったのです。
教会にはいろいろありますが、その代表的なものは「10分の1税」というものです。この税金は、自分の収入の10分の1を税として納めるというものです。

10分の1税は旧約聖書に起源があります。

旧約聖書には、古代ユダヤ人たちが収穫の10分の1を教会に献していたことが記
されています。ユダヤ人にとって重要な義務だったのですが、これがキリスト教にも引き継がれました。
そしてキリスト教というのは、ユダヤ教から大きく変革した部分もありますが、基本的な構造は同じです。やはり、どちらも同じ旧約聖書を聖典としていることが影響します。そして税も、そのまま慣習として引き継がれました。

この税金は当初、 ユダヤ教徒やキリスト教徒の自発的な義務でした。
しかし、キリスト教がヨーロッパに広く普及し、教会組織が大きくなってくると、キリスト教徒における明確な義務とされるようになっていったのです。
585年には、フランク王国において、第3回マコン公会議というキリスト教の会議が
行われました。この会議上で、「10分の1税」がキリスト教徒の義務として明文化されました。

 

フランク王国つまり西ヨーロッパ諸国の元にあたるわけなんです。

 

585年のフランク王国というと、メロヴィング朝です。

メロヴィング朝は、初代クローヴィス1世以後分裂してしまって王国が安定しないのです。この時の君主は誰だったのでしょう?

情報が限りなく少ないです。

ここを探ろうとするとこめかみがすごく痛いのです。が、その時の君主調べました。

見つかりました。グントラム1世です。←悪神の邪気を感じます。こめかみ痛いです。

第3回マコン公会議を召集したのはグントラム1世です。←悪神の邪気を感じます。こめかみ痛いです。

肖像画探しました。探すの苦労しましたが見つかりました。

 

 

この人物、世界史マニアの私も初めて知った人物です。それだけ超マイナーです。

マコン会議の開催は585年10月23日のようです。←悪神の邪気を感じます。こめかみ痛いです。

マコン会議に出席した司教のリストです。

※この資料立命館大学の修士論文の資料ですね。

 

 

すごい人数ですね。出席した司教54名および司教代理の聖職者12名、計66名です。

6世紀のキリスト教会議のなかで2番目に大規模だったそうです。


この公会議において10分の1税を納めない者には罰則を与えられるようになりました。罰則には教会への立ち入り禁止、破門、はては家屋の接収までありました。

そして、この税の使途も明確化されるようになりました。
10分の1税は四分割され、現地の教会の運営資金、建物の費用、貧困者への慈善事業、司教に送られるということになりました。

 

 

司教なんですけど、聖職者にはヒエラルキーがあります。

 

 

司教というのは、地域の教会を管轄する本部のようなものです。

各都道府県の知事と言えばわかりやすいかもしれません。

 

 

10分の1税の使途が明確にされている点は、現代の統一教会や新興宗教系の教団とは大きく異なります。それだけキリスト教の方が組織的であり、合理的でもあったということです。しかし、この教会税も危険をはらんでいました。
教会税は次第に国家的に認められた税になっていきます。
ローマ帝国がキリスト教を国教と認めて以降、ヨーロッパ諸国の多くの国がキリスト教を国教としてきたので、必然的にそういう流れになったのです。
現在の西ヨーロッパ諸国の元となる国、フランク王国のカール大帝は、779年に「国民は教会に10分の1税を払わなくてはならない」と明言しています。

 

 

カール大帝ですが、簒奪王朝カロリング朝フランク王国のイメージを払拭するために油塗り塗りをした2代目君主です。

 

 

この時代の王国の経済は軍事遠征で成り立っており、戦争で勝利して敵の財産を略奪したり獲得した捕虜の身代金を要求して売り払ったり、遠征に使う武器を他国に売ったりすることで莫大な富を築いたのです。

 

 

 

カール大帝は10分の1税の縛りがどれだけヤバいものなのか何もわかっていないまま導入してしまいました。

 

カール大帝はローマ皇帝でありながら実は読み書きできなかったんですよね、家臣や聖職者が読み上げてたんですよね。昔は多かったようですよ。読み書きできない君主。

カール大帝は名前だけのローマ皇帝にも即位したことにはなるんですけど、東のローマ皇帝はそれに怒ってしまいました。ちょっと紛らわしいですが、ローマ帝国は東西に分裂した後、西は滅び東だけはオスマン帝国に滅ぼされるまで残っていました。領土の変遷はこんな感じです。

 

 

東のローマ皇帝は皇帝は自分一人なので、教皇が戴冠した皇帝など認めないということなんですね。しかし、ローマ教皇は聞く耳持ちません。東は東で勝手にやってください、西はローマ教会とフランク王国で勝手にやりますからとなりました。

 

そしてローマ教会はまた悪に手を染めました👿

「コンスタンティヌスの寄進状」という世紀の偽書を捏造したのです。

その内容とは、「西方世界をローマ司教に委ねて自分と同等の権力を与え、自分はコンスタンティノープルに隠居する」というものです。ローマ教会はこの偽書を拠り所とし、油塗り塗りピピン3世の寄進やカール大帝の戴冠を正当化したのです。いくらなんでもここまでやるかってくらいの暴走ぶりですね、ローマ教皇。捏造の目的はもちろん教会税で縛るためです。

 

この寄進状が偽書であることを最終的に実証したのは15世紀の人文学者ロレンツォ・ヴァッラでした。1440年の事です。

15世紀!この時代はいろんな動きがありますね。

この時のフランス王はシャルル7世ですね。脳内麻薬が出ていなかったらローマ教皇の権威も没落していたのかも…。ローマ教皇を倒す条件も少なからず揃いつつあったんですけどね…。

 

カロリング朝とローマ教会は仲良くなりますが、フランク王国の領土はここまで拡大していました。カール大帝が10分の1税を強制させた翌年の事です。

 

 

この広大な領土をローマ教皇は上手く利用しようと考えたわけです。教皇は名前だけのローマ皇帝だけ与えて本当は、操り人形にしたかったのです。

ローマ皇帝の称号あげるから、そのかわり教会たくさん建ててね。税金払うように君からも言ってねとか交渉したのではないでしょうか。

 

そして納税の方法も細かく定め、「証人の前で自分の収穫の10分の1を分割しなければならない」としました。つまり、自分の申告が正しいかどうか証人の前で証明しなければならなくなったというわけです。
国王がそういうことを言っているのだから、もう完全に強制税です。
そして、この税によりキリスト教会(カトリック教会)は潤沢な資金を持つことになり、勢力拡大につながったのです。

 


教会税が税として社会に確立していくうちに、教会ビジネスともいえる動きも活発になりました。教会のない地域に教会をつくれば、教会税を徴収できるのです。教会税の大半は、地元の教会に入っていきます。司教に上納するのは、教会の4分の1だけです。だから地域の有力者や、少し金を持っているものが、新たに教会をつくるようなことも起こり始め、ヨーロッパ中に新しい教会がつくられたのです。
そうなると、 教会同士による教会の縄張り争いのようなことも出てくるわけです。するとキリスト教の司教たちは、地域の教会同士の縄張りを決め、「新しくできた教会は、元からあった教会の10分の1税を横取りしてはならない」などの規則が定められました。
こうして税金がどんどん利権化するようになっていったのです。

 

 

続きます。

 

脳内麻薬が消失した2023年4月7日よりオンラインサービスを開始しました。

速読サブリミナルが大好評となっています!人生を変えるための第一歩を踏み出しましょう!