引き続き、女性の心の根底に巣くう依存心についてです。

だからと言って、男性も他人事ではありませんのでスルーしないようにお願い致します。

 

前回の記事はこちらです。

 

 

女性が持っている成功への恐れ、自立へ恐れ、これを何とかしないと女性たちは潜在意識を破壊され続けてしまうことになってしまいます。

一人で行動することが怖い、男性の中に混じって私一人だけなんだけどいいのだろうか、私不安なんだけどこの気持ちわかってほしいな、なんて思ってしまう。

そんな彼女たちが群れてしまうと、本人が承認欲求をぶつけてしまったり、別の女性が足を引っ張り、承認欲求をぶつけてきたりする場合もあります。

 

今まででもサイキックアタックをぶつけることになって大迷惑になっていたのですが…

 

 

全員潜在意識破壊ですからね。巻き込み事故ですよ。

 

抽象度の高い相手からアドバイスをもらうとかならいいのですが、たいていの場合、他人は抽象度が低いのでアドバイスにならないものです。インチキ自己肯定している人たちは、他人の成功が面白くないのです。だから、新しいことにチャレンジしようにも、「やめときなよ。女なんだし、子育てしてればいいでしょ。そこまで頑張らなくてもいいと思うよ。」とか普通に言ってきます。

こういう人たちのことをドリームキラーと言います。

読んで字のごとく、夢を壊す人、人生を潰す人たちです。

こんな駄言をいう女性もまた依存心が強いわけで、洗脳された状態で言ってくるからとても厄介なのです。

 

では、再び依存洗脳見て行きましょう。

 

コレット・ダウリング著『シンデレラ・コンプレックス』には次のように書いています。

 

 

引用します。

 

男らしさストレスの功

女の子は男の子を一歩リードしつつ人生のゲームを始める。言語、知覚、認識の面で、幼年期は女の子のほうが勝っている。誕生時には、発育的に、ゲームを四週間から六週間リードしている。小学校にあがる頃までには、まる一年の差で優位に立つ。

 

確かに女の子の方が男の子よりもませているとはよく言われてきました。

しかしここで、逆転現象が起きます。それは一体どういうことか。

次のように書かれています。

 

自立の賽は子供が六歳に達する前に振られる、と心理学者たちはいう。現在、一部の学者は、女の子の行く道があまりに楽なものにつくられているという、まさにその理由で、彼女たちが情緒的発達におけるある決定的に重大な曲がり角を曲がるのを妨げられていると考える―つまり、過剰に保護され、過剰に手助けされ、「いい子」にしてさえいればいつでも助けてもらえると教えられるからだ。

ところが、雌のガチョウに対する注文は雄のガチョウには出されない。女の子なら、「いい子」のしるしであるとされるものの多くが、男の子においてはまったく情けないことと見なされる。身体活動面での臆病さや極端な慎重さ、「お行儀よく」おとなしくしていることや、人の助けや支援に頼ることは、それが女の子なら―――魅力とまではいかなくても自然と見なされる。ところが、これが男の子となると、依存的な形の関係に手を出せないような働きかけを受ける。こういったものは男児においては「めめしい」とされる。

 

これも男尊女卑洗脳入ってますね。

女だから従順を良しとする。でもそれが男だったら女々しいと言われる。

 

なぜ男児は自立を学びながら育ち、女児はそうでないのか、なぜ男児は独力で泳ぎ出すことを怖れないのか(あるいは、もっと正確にいえば、なぜ彼らは怖いにもかかわらずそうするのか)、なぜ男児は、おむつもとれないうちから自分の自尊心の規範ができはじめるのか――これらはバードウィックやダウヴァンなどの研究者が、いまあらためて調査している問題である。そして、ストレスの建設的影響といった理論を打ち出した。

その見解によれば、男児は「その芯にある本能的行動」を禁止されるというストレス(噛みついたり、ぶったり、人前で性器をいじったりしてはいけませんよとたしなめられるのもこのうち)、そしてまた、依存的行動を脱して「男性化」されるストレスに、いやおうなく対処していかなければならない。このストレスが究極的には有益なものだというわけだ。禁止されたり、おとなの承認がときには得られないことに対処しなければならないという経験が、男の子を適切な道の上に立たせる――自分自身の精神的能力を見つけ、またそれによって生きていくことへとつながる道。

 

この自立様式への切り換えのプロセスは、男の子の場合、二歳で始まる。その後三年間のうちに彼らは、周囲の承認を得たいという欲求から徐々に身を引き離し、自分が気持よくやっていくための自立した判断基準をつくりだしていく。ほとんどの男児は、成熟過程におけるこの重大なステップを六歳になる前に完遂する。

 

女の子にとって、これははるかに骨の折れる仕事だ。しばしば引用されるジェローム・ケイガンとH・A・モスの貴重な研究によれば、受動性とおとなへの依存傾向は女の子の場合、おとなになるまで一貫して見られる。実際、このふたつの人格要素が、女性の性格特性のうちでも最も安定し、最も変わりにくいものだとわかった。人生の最初の三年間受身だった女の子は、思春期初期にもまずは受身のままでいると思われる。同様に、思春期に受身だった女の子は、おとなになったときには親にどっぷり依存しているだろうと予想される。

 

こんなにまで、男女の子育てに差が出るのならどうりで女性の依存心が強いわけですよね。周りの人がずっと守ってきた。特に母親が。

 

 

「女は弱いから守られなければならない」そうやって、大事に大事に育られてきたことで女性は常に誰かが何かが守ってくれるものという前提が作られてしまいました。何かをやろうにも必ず親が先回りしてやってくれる。思春期に反抗期がない。そんな女性も多いそうです。

反抗期がないことを良いことだと思っている大人も多いですが、そんな人たちは100%毒親です。「仲良しだね。あなた親孝行だね」とか言ってくる人いますけど、これは危険ですよ。

何故ならその発言そのものが、子どもを操り人形にすることを肯定していることになりますからね。

 

母親と仲が良い女性もすごく多いですが、それが本当に良いことなのかは蓋を開けて見ないとわからないものです。傍から見れば仲良しに見えても実際は共依存だったなんてことはよくあるものです。親離れできない娘に子離れできない母親です。優しい母親が良い母親とは限りません。

しかも、感覚が麻痺してしまって親を毒親だと自覚できない人も多いです。本当の仲良しというのは、お互いに依存し合わないものなのです。

共依存のいけないことはお互いの存在を使って承認欲求を満たしインチキ自己肯定しているのです。

 

だからお互いの潜在意識は常に破壊され続けている。

 

 

過保護な親の元に育った子どもは自立心が損なわれます。特に女性は更に過保護に育てられやすいのです。それ故に自分の頭で考え行動する勇気が持てなくなり、やがて自分が本当にやりたいことさえも分からなくなってしまいます。

 

一人で新しく何か始めようにも怖くて踏み出せない、やっぱり前の方が良いと思って殻にこもってしまう。こういう女性は本当に多いです。

「女は弱いから守られなければならない」という洗脳は、女性の自立を阻害するものです。

そうなると、男性が良いと思っている女性の性質そのものもかなり洗脳が加えられていることになりますね。

子育てにおいて、男女の差別化をしてしまったことが事の発端です。

女性は守られなくても何とかやっていかなくてはいけません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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