続きを書いていきます。

 

前回の記事はこちらです。

 

 

トロワ条約により、毒母イザボーは、シャルルが王の子ではないことを示唆したとされ、廃嫡された王太子シャルルは、正統な王の子ではないのかあるいは狂人の子なのか、悩むことになったらしいです。
イザボーが不倫してできた子説もありますのでね。

これはね…私は黒だな~と思いますね。

そんな波乱万丈な幼少期、心はズタズタボロボロ…


 

シャルルはフランス中央部のブールジュを根城としていました。ベッドフォード公ジョンは南下して、まずブールジュの手前にあるオルレアンを包囲します。絶体絶命の大ピンチを迎えます。ところがそこに、突然ジャンヌ・ダルクという少女が現れて、包囲網を突破し、 オルレアンを救いました。



ジャンヌがシャルルと面会を果たせたのは諸説あるようです。ニシンの戦いでフランスが負けることを予告した説や、他の貴族と通じて説得させた説もあります。
シャルルは波乱万丈な幼少期と身内同士の争いの渦の中にいたこともあってか疑心暗鬼だったようです。面会を果たした時も、わざと玉座には家臣を座らせて自分は廷臣の列に隠れていたらしいですが、ジャンヌはシャルルを間違えることはなかったと言います。これに胸を打たれたシャルルはジャンヌを信用したといいます。
自分が王としての器があるのかどうか自信が持てなかったシャルルをジャンヌは励ましたそうですね。

 

 

 

 


ジャンヌ・ダルクは映画や書籍、ゲーム等で美化されている部分もあったりするのですがおそらくはキリスト教のバイアスが入ったからかなと思います。
20世紀になってローマ教会によって列聖されたそうですし。完全ローマ教会のプロパガンダです。後世によって英雄に担ぎ上げられたということです。実際に戦場で自ら剣を振り回し戦ったかと言うとそうではなく、あくまで兵士を鼓舞して士気を上げる役割を担っていたにすぎなかったのではないかという説が有力です。甲冑を着ていたから戦ったとかそういうイメージがついたのかなとは思います。
 

ただ、戦いにおいて士気を上げるというのはとても重要なことで目標に向かって一致団結することは何倍もの戦力となっていくのです。あと食糧ですね。腹は減っては戦はできぬですからね。戦国時代に秀吉が兵糧攻めを得意としていたのもこれがわかっていたからなんですよね。
オルレアンは包囲されていて兵糧攻めに遭っていたので、そんな状態で戦えるかと言えばとても無理ですよね。食糧が尽き、飢えた状態で食糧の輸送が来たとあれば兵士たちはやる気を取り戻しますね。そしてバラバラになった諸侯、フランスの民衆たちをつなげたのがジャンヌの「フランスを救え!」だったのかもしれません。
 

フランス軍は次々にイングランド勢に勝利していくのです。
そしてジャンヌはシャルルとランスに向かい、そこで戴冠式を行ないます。シャルルはシャルル7世として即位します。

 

 


 

ランスというパリの北東にある都市は、フランス最初の王朝メロヴィング朝のクローヴィスが戴冠した場所です。それ故フランス王は、この地で戴冠することが慣習となっていたのです。国際条約上は、ヘンリー6世がフランス王なのですが、フランスの民衆がランスで戴冠したシャルル7世をフランス王と考えたのは自然の成り行きでした。

オルレアン包囲戦はこちらの動画で見れます。海外版なので日本語字幕にしてみてください。設定の仕方は各自で調べてください。

 

 

7:40辺りからですね。12:00のところからジャンヌ・ダルクが登場します。どこから入城してきたか…東の門からです。ここだけがかろうじて自由でした。
そこからどうやって逆転したのかがよくわかるかと思います。

しかし、ジャンヌの活躍は戴冠式以降芳しくなくなりました。パリを出てコンピエーニュの戦いでブルゴーニュ派とイングランド連合軍によって彼女は捕えられ、1431年にノルマンディー公領ルーアンでの宗教裁判で異端犯罪人として認定され、魔女として火あぶりにされてしまいます。
 

 

シャルル7世がジャンヌを見捨てたことについて現代人のイメージは悪いようですけど、何故見捨てたか、当時は百年戦争の戦局を変えた一部にすぎなかったと見ていたのかもしれません。
オルレアンには名将が固まっていましたから、戦争そのものの手柄は君主目線で言えば彼らだったのかもしれません。所詮は一介の農村の娘、戦争で財政も苦しいのにわざわざ身代金を払ってまで取り戻す価値があるのかと考えればどうでしょうか?
百年戦争は、まだしばらく一進一退を続けます。
 

その後、ジャンヌ・ダルクはフランスの歴史では忘れられた存在になりました。 彼女にスポットライトを当てたのはナポレオンです。彼は、フランス革命後の苦境から自分がフランスを救い、その栄光を高めたという歴史をつくりあげたいと望んでいました。そのために、祖国の危機を身をして救った若い乙女を発見したのです。自分が偉大なるフランスのために全ヨーロッパを敵にまわして戦う姿を、ジャンヌ・ダルクと重ね合わせることで、自己のイメージを劇的に高めようとしたのです。ですから、ジャンヌのイメージは後世によって脚色された感も否めないわけです。

フランス軍は巻き返しはじめます。
フランスの人々はシャルル7世の王位を認めているため、またシャルル7世もブルゴーニュ派に対してはブルゴーニュ公ジャンを暗殺してしまったことを詫び、賠償金の支払いや領地の割譲や臣従礼の終身免除など多大な譲歩を余儀なくされましたが、ブルゴーニュ公フィリップ善良公も時代の空気を読み取り、フランス人だからフランスの味方になると寝返ったのでした。
イングランド・ブルゴーニュ同盟を断ち切ることに成功したのです。そこから北方の貴族たちを味方にすることにも成功し、祖父シャルル5世を手本に内政の強化を図りました。
1453年には長年の因縁の地ボルドーが陥落して百年戦争が終結します。



フランスの立て直しに成功し、勝利王とも言われたシャルル7世ですが、実は愛人がいました。アニェス・ソレルという絶世の美女です。

 

 

何じゃこりゃ!娼婦かこの女は!?と思いましたが、この格好が宮廷で流行ったらしいです。下品すぎる…滝汗
波乱万丈な幼少期を過ごしたシャルル7世にとって唯一の癒しがアニェス・ソレルだったのでしょうか。シャルル7世の寵愛を受ける中で、アニェス・ソレルは立場が強くなり政治や軍事にも口を出せるようにもなってきました。
王妃マリー・ダンジューもアニェスの魅力を認めており、アニェスもまた王妃を尊重したために不仲ではなかったようですが、アニェスが王に対し強い影響力を持ちはじめたことで宮廷内やフランス国民と多くの敵をつくることになりました。中国でも楊貴妃に玄宗が夢中になって国を傾けたという話がありますけど、何でしょうね…フランスの女性の地位が低いことが、女を武器にし男性に愛されないとやっていけないという悪しき慣習を生み出したのかなと思えてなりません。

 

イギリスもスペインもロシアも歴史上で女性君主は存在しましたが、フランスだけは存在しません。それに疑問に思った人もいるでしょう。それはこちらでも書きましたが、

 

 

フランスはサリカ法典に従っていたので男社会であり男尊女卑が当たり前でした。フランスの女性は強い人多いんですけどね…。でも男尊女卑がここまで厳しいと実力で克服することもできない。ネールの塔事件の件もありますし、サリカ法典を廃止にすると、女系の相続としてイングランドが文句を言ってきて百年戦争になった件もあり、できなかったのだとか。まぁ、根本の宗教が一神教だからこそ戦争だらけになっちゃうわけなんですけどね…。


アニェス・ソレルの存在がフランス宮廷の公式愛妾という制度が確立していくことになります。あのポンパドゥール夫人もルイ15世の王妃ではなく公式愛妾だったのです。

 


アニェス・ソレルのことについては、こちらの動画がわかりやすいです。アニェスにはシャルル7世との間に子どもが3人できます。

 


ただ、シャルル7世がアニェスを寵愛し、公式愛妾として常に傍らに置いたことが王太子ルイ(後のルイ11世)の恨みを買うことにもなっていきます。アニェスの死因は毒殺説が濃厚のようですが、犯人はもしかしたら…。
毒親の連鎖も入ってきてフランス王家の人間はどんどん性格が歪んでいきますね。


続きます。

 

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