ブログを始めたのが去年の4月10日でした。


 最近放置していたので、ブログ1周年記念記事を書き忘れてしまいましたしょぼん



 ブログを始めるにあたって最初に考えたのは、「毎日欠かさず書くぞ!!」でした。


 その気合も半年と持たずに断念。


 今は、「月1回は書くぞ!!」になってしまいました。



 ブログ始めた頃から今までを思いだして一番印象に残ってるのは、何と言っても「尿管結石」で入院した時のことです2009/6/27


 まだ毎日更新する気合が入ってた頃だったので、病院のベッドから携帯で記事を書きました。次の日にすぐ退院したのでたいした事ではなかったのですが、生まれて始めての入院は、痛みとタバコが吸えない苦しみで「二度と入院はしないぞ!」と誓ったのを忘れませんひらめき電球


 そして、その時の記事に頂いたたくさんのコメントは本当に嬉しくて、涙もろい私は密かに(まぁ一人暮らしなので誰にも見られませんが)泣いた記憶があるような、ないようなニコニコ その節はご心配をおかけしまして申し訳なく思っておりますm(_ _)m


 

 そして本日が、アメーバピグを始めて1周年だというお知らせメールが着ました。


 ピグの事を最初に書いた記事2009/4/18 をみたら、ピグ部屋の物の少なさに笑ってしまいましたにひひ


 あと、今はピグも整形しているので、なんか懐かしい顔に見えてきました。



 放置状態ながらも、1周年を迎えられて嬉しいですアップこれからも忘れた頃に更新すると思いますが、気が向いたら読んでくださいパーニコニコ  

$珈琲の香りと紫烟の中で・・・
 大脱走  1963年


 第2次世界大戦下、脱走不可能といわれたナチス・ドイツの第3捕虜収容所。ここに過去何度も脱走を計ってきた札付きの連合軍将校達が大量に送り込まれてくる。
 彼らは空軍中隊長ビックX(リチャード・アッテンボロー)の指揮の下、収容所の中で3本のトンネルを掘りながら、脱走後の身分証明書、衣類等を調達していく。ビックXの計画は捕虜250名を脱走させるという信じられないような計画。
 そんな中、ビックX組とは別に単独で脱走を計画し、実行しているアメリカ空軍のヒルツ大尉(スティーヴ・マックイーン)。
 脱走を共にした仲間が殺されたことで、ヒルツはビックX組に協力することになるのだが・・・。


 3月24日。本日は我らのマックイーンの誕生日です。1930年3月24日生まれなので、もし生きていたらちょうど80歳になります。

 マックイーンの誕生日を記念して本日は、マックイーンの人気を不動のものとし、また文句なしの代表作『大脱走』を取り上げたいと思います。

 『戦雲』(1959)、『荒野の七人』(1960)に続き、三度ジョン・スタージェス監督と組んだ『大脱走』は、音楽エルマー・バーンスタイン、共演にチャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンといった『荒野の七人』メンバーに加え、ジェームズ・ガーナー、リチャード・アッテンボロー他豪華キャストの超大作。250人の集団脱走劇は多少の脚色はあるが史実に基づいた実話で、脱走の手口は忠実に再現されているらしい。

 『大脱走』といえばマックイーンがバイクで爆走するシーンがあまりにも有名ですが、私はバイクのシーンよりも収容所内での少しコミカルな演技と軽快な動きのほうが強く印象に残っています。そして一番印象に残るシーンは、脱走に失敗するたび独房に入れられながらも次の脱走計画を内に秘め、壁に向かってキャッチボールをするシーン。自由を求め不屈の精神力で脱走を繰り返すマックイーンが、一言もしゃべらずに演技力だけで魅せてくれた最高のシーンだと思っています。

 男性アクション映画の頂点を極めた作品といわれる『大脱走』。マックイーンファンでなくても一度は観てくださいね。

 

$珈琲の香りと紫烟の中で・・・
 スティーヴ・マックイーン

$珈琲の香りと紫烟の中で・・・
 ジェームズ・ガーナー

$珈琲の香りと紫烟の中で・・・
 リチャード・アッテンボロー

$珈琲の香りと紫烟の中で・・・
 チャールズ・ブロンソン

$珈琲の香りと紫烟の中で・・・
 ジェームズ・コバーン

$珈琲の香りと紫烟の中で・・・
 デビッド・マッカラム

$珈琲の香りと紫烟の中で・・・
 ドナルド・プレザンス




mixiの方にも同じのを貼っていますが「大脱走マーチ」が流れるエンドクレジット!
<音量大きいので注意してください>
「シャーロック・ホームズ」に聞いてみよー! ブログネタ:「シャーロック・ホームズ」に聞いてみよー! 参加中

本文はここから

 かなりお久しぶりなのでコッソリ更新にひひ

 そろそろ更新しなければと思いながら何を書こうかと悩んでいたら、ちょうどいいブログネタがあったので書いてみます。

 世界中で「聖書」の次ぎに多く読まれていると言われる「シャーロック・ホームズ物語」本

 1887年に長篇第一作、「緋色の研究」で初登場。1890年に第二長篇、「四つの署名」を経て、1891年から「ストランド」誌に短篇が連載される。この短篇が全部で56篇あり、後に全5冊の単行本(シャーロック・ホームズの冒険、回想、生還、最後の挨拶、事件簿)にまとめられる。
 短篇の連載中、作者ドイルはホームズ物語を書くのが嫌になり、「最後の事件」でホームズ最大の宿敵モリアーティ教授をいきなり登場させ、モリアーティ教授とホームズをライヘンバッハの滝に落とし殺してしまう。
 このドイルの荒業に対し、読者はホームズを生き返らせてほしいという願いをドイルに訴え続けた。そこで一篇だけホームズ物語を書く決心をしたドイルは、「最後の事件」でホームズが亡くなる前の物語という設定で長篇を書いた。
 そう、この第三長篇こそがシャーロック・ホームズ物語の最高傑作と言われている、「バスカヴィル家の犬」なのです。
 ホームズの人気がいかにすごいかという事に改めて気づかされたドイルは、「空き家の冒険」でついにホームズを復活させたのです。

 最終的に長篇4作(第四長篇は「恐怖の谷」)、短篇56作の全60篇を残しホームズは探偵業を引退。現在もサセックスの丘陵地帯に住んでいるとシャーロッキアンは信じている。(ホームズの誕生日は1854年1月6日なので、現在156歳)
 
 簡単にホームズ物語の概略を書いてみましたが、ブログネタとは全く関係ないですねあせる



 シャーロッキアンだと、ホームズ自身についての事を質問するはずです。例えば、多くのシャーロッキアンを悩ませ続け、いまだ決定的結論に達していない難問中の難問。

 「シャーロック・ホームズの在籍していた大学は、ケンブリッジ大学?それともオックスフォード大学?」

 どちらでもいいと思うでしょうが、シャーロッキアンにしてみれば長年の疑問が解決するチャンスです。

  
 私はシャーロッキアンとはいえない単純なファンだから、未解決の事件を「パイプ三服の時間で解決だ!」と見事な推理で解き明かすところを見たいです。ホームズは、1888年にロンドンで発生し、迷宮入りとなった連続殺人事件「切り裂きジャック」と対決したといわれているが、その犯人はワトソンが公表できるようなものではなかったことになっている。これはパロディやパスティーシュなどでかなりの数が書かれていますが(最も有名なパスティーシュは、エラリー・クイーンが書いた、「恐怖の研究」)本当の真相はどうなのか?

 是非とも聞いてみたいです!
  

映画「シャーロック・ホームズ」オフィシャルサイトPC
劇場版「名探偵コナン 天空の難破船」公式サイト PC


今の時代にシャーロック・ホームズの映画を作るとはニコニコ!!素晴らしいグッド!