8月の京都バッハ合唱団復活公演楽しみで仕方ないのですが、
イェフタの物語がね、難しくてね。
あはは。
もう一回チラシ載せとこう。
8月11日(木祝) 開演17:00 京都文化博物館別館ホール
カリッシミという作曲家は、声楽を勉強する人が一度は通るだろう、全音のイタリア歌曲集の中で出会ったはず。
Vittoria mio core って歌ったな。
ついこないだもレッスンしたな。
という懐かしのカリッシミ。
そのカリッシミの作曲、イェフタの物語は、旧約聖書の物語。
ならば久々に聖書をばひらかん!と該当箇所を読んでみた。
イェフタはアンモン人との戦いに苦戦していた。
そんなとき、ある恐ろしいフラグを立ててしまう…。
「アンモン人との戦いに勝つことが出来たなら、私の家の戸口から私を迎え入れたものを神のものとし、その者を焼き尽くす捧げ物といたします。」
もうこの時点であかん。がっつり死亡フラグが立ってる!
そしてもちろん戦いに勝ち家に帰ったら、一人娘が太鼓やタンバリンをかき鳴らしお祝いして父を迎えるのです。
そこで、イェフタは自分の服を引き裂いて、
「あぁ!どうしておまえが…おまえが私を打ちのめすのか…」
と、のたまうのですよ。(いや、わかってたやろ…)
娘は父が立ててしまった誓いに捧げ物としてその身を差し出すのですが、ちょっと待った!!!!!
「私に2ヶ月の猶予をください。その間、お友達と山にこもり、子どもを残すことも出来ず、乙女のまま死んでいく事を嘆き悲しみたいのです。」
とか言うんですよね。
その2ヶ月、確実に他にやることあるだろ…。
と、煩悩にまみれた私はあれやこれや思ってしまうのですが、
聖書には、2ヶ月後父の元に戻った娘は、神に捧げられた。
彼女は男を知ることがなかったので、イスラエルには次のようなしきたりができた。年に4日間、イスラエルの娘達はイェフタの娘の死を悼んで家をでるのだ。と書かれています。
なんともいえない。
私の感覚とはあまりにもかけ離れていて、2ヶ月嘆き悲しむ気になどなれない。
その2ヶ月で、悔い無し!って思うくらい遊ぼうよ。
と思ってしまいますよね。あかんか…。あかんのか…。
と、内容にはまったく共感できないのですが、
意外と、娘のパートにかなりドラマチックな音楽がつけられていて、嘆きだけでなく恨みやヒステリックな音型が現れているのです。また山にお友達と向かってから、娘の独白とエコーのようにうたうお友達のアンサンブルがとても印象的です。
そして娘の最後の独白とか、ちょっとモンテヴェルディのアリアンナの最後と同じような静けさがあるのよね。とか勝手に思っています。
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モンテヴェルディのアリアンナの嘆き、
なんと9年ぶりに歌います。あの頃、必死やった歌をもう少し落ち着いて歌いたいと思っています。
リサイタル一曲目で10分ほどあるので、ぜひ遅れずに来てね。
というリサイタル小出し情報①
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ということで8月11日は京都文化博物館へGO!