4月2日 聖金曜日
聖愛のバッハ vol.6 ヨハネ受難曲
神戸聖愛教会での「ヨハネ受難曲」、無事終了しました。
ひさしぶりに合唱も歌ったので、冒頭合唱からテンションあがりました。そしてドレスがキツくて…、息があがりました。
2部に入る前に牧師先生のメッセージがあり、10分休憩。
(この休憩の間にドレスを緩めた)
牧師先生は
受難曲を聴くという事は、キリストの死を悼む事ではなく、
その死によって自分、また世界が救われているという事を刻みつけること、とおっしゃっていました。
自分のこととしてキリストの苦しみを思う。
深い悲しみと救われる事への喜び。嘆きと感謝が受難曲の中には描かれている。と。
本場では聖金曜日の午後の礼拝で受難曲が演奏される。いわゆる演奏会ではないから休憩は無く、一部と二部の間に牧師のメッセージが入るだけ。終演後、拍手はせず、席を立つのだそう。
大学時代、友人が
知人のクリスチャンが「受難節は自分も少し我慢をすることにしている。だからこの時期は大好きなチョコレートは食べない。」と言ってた。
と教えてくれました。
当時、なんじゃそれ!?と思ったのでよく覚えています。
でも今ならその意味がわかります。
彼女はイエスの受難を我が事として捉えているんだ、と。
自分にできる受難節の過ごし方なんだと思います。人それぞれちょっとしたことでも、そうやって思いをはせること、我が事にする、ということが大事なんだな。
今回、演奏会場ではなく、
教会でしかも礼拝で、「ヨハネ受難曲」を演奏する事を改めて感じました。すこし語弊があるかもしれないけど、聴衆に向けた音楽ではなく、神に向けた音楽である、ということを演奏中に実感したんです。本当、演奏中に「あぁ、これはそういうことなんだ。」と。
まさに、Soli Deo Gloria
とか書いていますが、
もちろん煩悩にまみれた私ですので、演奏後YouTubeで聴いて
自分の演奏にOh my God…と言うことになるのですがね。
本当、映像が残るって残酷。。。我が事として受け入れる…。
受難…。
でもあげちゃう。↓ご視聴ください。
さて、そんな感じで4月が始まりました。
今月中に歌えるようになっとかないといけない曲が…。
沢山あるぞ。ヤバいぞ。
ブラームスの愛の歌も全曲だぞ。
↑これが一番の難関な気がする。
この春はゆっくりしていられないから気合い入れて行かないと!