8月23日
処暑(しょしょ)

処暑の「処」という字には、

虎の皮を身につけた人が
勝利を祈る姿が
表されているともいいます。

 

虎のように厳しく、
勢いよく追い立てていたものが、

役割を終え、
腰を下ろし、
そこにとどまる。

 

そんな意味をもつ「処」。

 

あれほど力強かった夏も、

もう少しすると
その勢いを静めていきます。

 

あれほど勇ましく、
強かった存在でさえも、

時とともに
その勢いを静めていく。

 

自然の摂理というものに

人間界も同じだと
感慨深いものを感じます。

 

ずっと同じ強さで
走り続けるものなどない。

 

勢いのあるときがあり、
少しずつ力をゆるめるときがあり、

 

そしてまた
次の季節へと向かっていく。

 

私たちもきっと
同じ。

 

 

まだ暑さの残る毎日ですが、

ふと空を見上げれば、
 

雲の姿が少し変わっていたり、

 

陽が沈む時間が
少しずつ早くなっていたり。

 

季節は、
気づかないほど小さなところから
次へ向かい始めています。

 

そんな小さな変化や
 

新しい兆しに、

 

 

私たちは
気づいているでしょうか。

 

 

今日と同じ明日が来ると
どこかで思い込んではいないでしょうか。

 

毎日やることに追われ、
前へ前へと走っていると、

 

変わり始めているものに
気づかないことがあります。

 

 

そして、

走り続けているからこそ
 

見えなくなっている景色も
あるのかもしれません。

 

少し立ち止まる。

 

少し足をゆるめる。

 

 

それは、
前へ進むことをやめるのではなく、

 

今まで見えていなかったものに
気づくための時間なのだと思います。

 

終わっていくもの。

変わり始めているもの。

 

そして、
これから始まろうとしているもの。

 

処暑は、

そんな小さな兆しに
 

意識を向ける大事さを

そっと問いかけているように思います。

 

季節はいつも

止まる大事さを教えてくれている。

 

そのまま流れ続けることに

自分たちの意思があるのかどうかを

強く問いているように感じます。

 

 

まだまだ 熱い日々が続きそうです。

残暑に対処しながら、

少しだけ足をゆるめ、
次の季節の気配を感じながら、

素敵な残暑をお過ごしください。

8月7日
立秋(りっしゅう)

 

秋がそろそろ
「次は自分の出番」と、
立ち上がる準備を始める頃です。

 

そう聞いても、
外に出れば、まだまだ真夏。

 

照りつける太陽や、
肌にまとわりつくような暑さの中では、
秋の気配など、どこにもないように感じます。

 

立秋の次は、処暑。

秋が立ったあとに、
ようやく暑さが落ち着いていく。

なんだか、へんてこな巡りです。

 

けれど、季節は
目に見える景色が変わるよりも先に、
静かに次の準備を始めているのかもしれません。

 

立秋は、
春、夏、秋、冬と巡る一年の
大きな区切りのひとつです。

 

怒涛のように流れていく日々の中では、
昨日と今日の境目さえも曖昧になり、

気がつけば、
また一週間、
またひと月が過ぎていたということもあります。

 

何かをやり終えても、
立ち止まることなく次へ向かい、

できたことを振り返る前に、
まだできていないことへ
意識を向けてしまうこともあります。

 

けれど、区切りをつけることは、
終わらせることだけではありません。

 

ここまで歩いてきた自分を振り返り、
受け取ってきたものを確かめること。

 

そして、
次の季節へ向かうために、
心を整えることでもあるのだと思います。

 

秋は、実りの季節です。

 

けれど実りは、
大きな成果や、
目に見える結果だけではありません。

 

誰かにかけてもらった言葉。

ほっとできたひととき。

昨日より少しだけ
自分にやさしくできたこと。

 

思いどおりにならなかった中にも、
小さな幸せや、
ささやかな喜びは
すでに生まれているのかもしれません。

立秋は、

それらを見過ごさず、
きちんと手に取る余裕をもちなさいと、
伝えてくれているような気がします。

 

あなたの中には今、
どんな小さな実りが育っていると

思いますか?。

季節の変化は、
まだ目には見えなくても、
次の準備はもう始まっています。

 

暑さは、まだまだ続きます。

どうぞご自愛ください。

「あなたの夢をあきらめないで」

 

このフレーズを見て

岡村孝子さんが浮かんだ方は、

きっと私と同じ世代ですね。

 

少し前になりますが、

岡村孝子さんのコンサートに行ってきました。

初めてこの歌を聴いたのは、15歳のとき。

 

初めて「CD」というものを、

お小遣いをためて、

ドキドキしながら買ったことを

今でも覚えています。

 

だから私にとって、

この歌は特別な思いの詰まった一曲です。

 

今では、CDを聴く機械そのものが

少なくなってきました。

 

 

今日は、この「夢」という言葉について

考えてみたいと思います。

 

 

若い頃の私にとっては、

 

「夢」=「目標」=「職業」

 

だったのではないかと、

今さらながら思います。

 

だとすると

夢を職業と考えるなら、

私は夢を叶えているといえます。

 

けれど、夢を叶えることと、

叶えた夢を続けていくことは、

少し違うのかもしれません。

 

一つの仕事を長く続けていくためには、

情熱だけではなく、

愛情、信頼、継続、忍耐。

 

そして、計画、理論、戦略など、

さまざまな力が必要になります。

 

若い頃に思い描いていた夢は、

叶えた瞬間に完成するものではなく、

現実の中で育て続けていくものだったのだと

今は思います。

 

子どもには「夢を持ちなさい」と言うのに、

大人になると、夢を語れなくなる。

 

それはもしかすると、

私たちの中に

 

「夢=職業」

 

という概念が根強く

あるからではないでしょうか。

 

なりたい職業につけたから、

夢は叶った。

 

今の仕事を続けているのだから、

もう新しい夢を語る必要はない。

 

どこかで、そんなふうに

思ってしまっているのかもしれません。

 

けれど、本当の夢は、

職業ではないのだと思います。

 

自分がつくり出したい世界。

 

自分がありたい姿。

 

そして、

自分が望む幸せを知り、

それを自分の手で掴みにいくこと。

 

究極は、

自分が存在している意味を

問われる言葉。

 

夢とは、

そういうものなのではないでしょうか。

 

さらに

夢には、続きがある。

 

一つの夢を叶えたその先にも、

また新しく、

辿り着きたい場所が生まれていく。

そして夢の奥には、

そこへ向かいたいと思う

情熱の源泉がある。

 

「あなたの夢をあきらめないで」

 

このフレーズが40年以上、

私の中に残り続けていたのは、

 

きっと、

 

そのことに

自分のタイミングで気づいてね

 

というメッセージだったのかもしれません。

 

あなたの夢をあきらめないで。

 

あきらめない力は、

私たちの中に

まだ、きっとある。

 

岡村孝子さんの声や歌を聴くと、

そんな気持ちを思い出させてもらえます。

 

この歌が長く、多くの人の心に

届き続けている理由も、

そのあたりにあるのかもしれません。

 

夢をあきらめない私でいたい。

 

そして、誰かの夢を

そっと応援できる私でいたい。

コンサートの余韻の中で、

そんなことを思いました。