7月7日 小暑・七夕☆彡

 

小暑を迎えました。

 

暦の上では、

少しずつ本格的な暑さへと向かっていく頃。

 

そして、七夕でもあるこの日。

 

天からのメッセージは、

 

全力で遊ぶ。

全力で滋養する。です。

 

全力って、

年齢を重ねるごとに

少しずつ出し惜しみしているなと思うのは、

私だけでしょうか。

 

やりたいからやる。

力尽きるまでやる。

だって、やりたいんだもん。

 

子どもの頃は、

そんなふうに動いていたような気がします。

 

損をするかどうか。

意味があるかどうか。

誰かにどう見られるか。

 

そんなことよりも先に、

ただ心が動く方へ

体が向かっていたのかもしれません。

 

小暑と七夕が重なるこの日は、

そんな純粋な気持ちを思い出しましょうという、

年に一度のメッセージのようにも感じます。

 

きっとその先には、

今までとは違う自分が待っているから。

 

思いきって、ジャンプしてみなさい。

 

そんなふうに、

天から言われているような気がします。

 

駿馬のごとく、

恐れることなく、

悠々と。

 

あなたの中には、

まだその力がある。


小暑。

すでに大きく暑そうですが……。

 

どうぞ、素敵な小暑をお過ごしください。

最近、なにかわからないことがあると、

反射的に生成AIに聞いている自分に気づきます。

 

「これって、どういう意味だっけ」

「こういう場合、どうすればいいんだっけ」

 

かつてなら、

少し考えたり、調べたり、

 

あるいは、

悩んだりしていたはずのことが、

 

今はスマホを開いて、

数秒で解決してしまう。

 

めちゃ便利です。

それはもう、

間違いありません。

 

でも、ふと立ち止まると、

「あれ、私、最近ちゃんと考えてないな」

と思う瞬間が増えてきました。

 

そんなことを思っていた矢先、

新聞のコラムで、

「考えごとをさせろ」

という文字が目に飛び込んできました。

 

読み進めると、こんな一文がありました。

 

「今を生きている人は常に何かをしているので、

何もしていない様子を見ると心配になるらしい」

 

ハッとしました。

 

本当に、そうかもしれない。

 

空白の時間は、

何もしていない時間。
非効率な時間。

そんな図式ができあがっているのでは??。

 

でも、

空白とか、余白って、

むしろ今、

いちばん必要なものなんじゃない?。

 

色を扱っている私にとって、

余白という言葉は、

どこか白色にもつながります。

 

白は、何もない色ではなくて、

ほかの色を受けとめ、引き立て、

呼吸できる場所をつくってくれる色。

 

予定や情報でいっぱいになった日々の中にも、

そんな白い余白があるからこそ、

自分の感覚に戻ってこられるのかもしれません。

 

 

そしてそもそも、

「考える」って、なんだったんだろう。

 

生成AIが登場する前は、

わからないことがあれば、

しばらく頭の中で転がしていた

時間があった気がします。

 

家の中でぼーっと妄想したり、

歯を磨きながら、

関係ないことを考えていたら、

急にひらめいたり。

 

妄想好きな私にとって、

その「わからないまま抱えている時間」自体が、

実はけっこう楽しいものでもありました。

 

でも今は、疑問が浮かんだ瞬間に

AIに聞いてしまう。

 

だから、その「抱える時間」が

ごっそりなくなっているのかもしれません。

 

妄想する余白が、

知らないうちに奪われている。

 

考えてみれば、人間はもともと

楽をしたい生き物です。

 

考えなくて済むなら、

それに越したことはない。

 

だから、生成AIに頼る流れは

とても自然なことなのだと思います。

 

ただ、

少し引っかかりが生まれます。

 

考えるということは、

単に答えを出す作業ではなくて、

感じることにもつながっている気がするのです。

 

わからないことを、

ああでもない、こうでもないと

頭の中で転がしているうちに、

思わぬ感情や発見に出会うことがあります。

 

それを全部AIに任せてしまうと、

便利にはなるけれど、

何かを感じる力そのものが、

少しずつ鈍っていくのではないか。

 

そんなことを思いました。

 

そう考えると、余白は

あえて作らないといけないものに

なってしまったのかもしれません。

 

 

「何もしない時間」を、

わざわざスケジュールに組み込むという
なんともおかしなタスクづくりをしている私。

 

我ながら変なことやていると思いつつ、


今日もまた、

その「考えごとをする時間」を

どこかに捻じ込もうとしている自分がいます。

 

6月30日。

決まった日に行われる
 

地元の「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」に

行ってきました。

 

これは、
もう25年以上続いている
夫婦の行事のひとつです。

 

夏越の大祓は、
年明けから半年の間に
 

身に溜まった

「罪」や「穢れ」を祓い落とし、

 

残り半年の

無病息災や厄除けを

祈願する神事です。

 

 

人の形をかたどった「人形(ひとがた)」に
自分の名前と年齢を書き、
息を吹きかけます。

 

自分でも

気づかないうちにしてしまった「罪」
 

知らず知らずのうちに

受けている「穢れ」

 

それらを祓い、
浄化していただく。

そんな時間です。

 

 

ここで、毎年思うことがあります。

 

私は、
捕まらないけれど
どれだけの罪を
犯しているのだろうか。

 

そんな問いが、
自然と自分の中に浮かんできます。

 

きっと、日々の中で
感情的になったり、
自分の正義を主張したり、
 

余裕のなさから、
知らないうちに

誰かを傷つけてしまっていることがある。

 

きっと、

いっぱいあるのだと思います。

 

 

ごめんなさい。

 

 

そう、素直に謝れる日。

 

 

人は、常々、
無意識のうちに
誰かを傷つけ、
 

また、自分も傷を

受けているのだと思います。

 

その行為が
良いとか、悪いとか、
 

そんなに簡単に

分けられるものではなくて。

 

ただ、
知らず知らずのうちにして

しまっていることに対して、

 

 

ごめんなさい。

 

 

そう思える日。

 

 

それは、幸せなこと。

 

 

そして、思います。

 

「大丈夫。祓うから、安心しなさい」

 

 

そんなふうに大きな器で

受けとめてくれるような
 

この仕組みをつくられた古人って、
本当にすごいなあと。

 

 

責めるのではなく、
気づかせてくれる。

 

 

罰するのではなく、
祓って、

また歩き出せるようにしてくれる。

 

 

夏越の大祓は、
「ごめんなさい」と
「ありがたい」を
たくさん感じられる日なのかもしれません。

 

 

今日で、今年も半分。

ここから始まる残り半年が、
 

少しでも健やかで、
穏やかな時間となりますように。

素敵な夏の始まりをお過ごしくださいね。