「故郷」を脱故郷化すること。



共同体から排除されし者たちの…、
消え去っていった者たちの…、
(北国でミイラにさせられた者たちの…)、



草津で暮らした日々の話。
スキー場。山のこと。みんな善き人だった。客層が悪くなってきた(流れ者の中にいろんな人が混じっていた…)。変えようと頑張った。
そして今、東京で一人。


日々の泡をなるべくメモして行きます。
すぐ辞めるかもしれませんが、よろしくどうぞ。

・指示書たること

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明けたのは、瞑想しながら闇の中で。
歓びは盲目に陥りやすく、
様々な思いでこの時を迎える人がいるだろう、そのどの人にも対等に寄り添えるようなフラットで繊細かつしなやかな身体でありたい。あわよくば、その健やかさが光の風のようにして撫でてゆくような…。
(そうだ、風だ。そして光だ)。
(闇において、あるいは地中に籠ることで、不動と沈黙の身体を深めることで、逆説的に軽やかさを身に纏おうとする…)、

のち、パートナーと哀しみについて話すこととなる。(1/5の4人での晩餐会)
哀しみを知ってあること。どのような歓びの、楽しきハレの者であれ、ペーソスを身をもって識っているか否か、それがもっとも大きいように思う。
(私たち)に共通するのは、その他者のペーソスを感応する力にあるやもしれない、と、ふと。
(わたしは君のそれが見たい、)


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フィクション化すること。
抽象化したい。
少しずつだ。
根を持つことの意味。
根から生えてきたフィクションは真実を宿す。