鈍色に輝く海原を黙して見つめる人影の気配。
ここから先へ立ち入ってはならぬ者。
魂の行方を見つめる者。
身体という場。
あらゆるものを無化し受け入れ匿う混沌と浄化と流動の絶え間なき処、虹の下、。
定期的に結界/境界を張る行為。

肌から始まる。感触から始める。問いなおす行為。愚直なほど。


私は夢で人を殺した。彼の人は市議会議員だったようである。下北沢の細道に沿って吊された風鈴の音の美しさに聴き入って歩く、わたしの隣を歩く警官は(こんな瑞々しい感性の人が殺すとは思えないのですが、)と電話していた。
新聞の紙面はどこも自分の名前が溢れており、自分を信頼し期待してくれていた両親には頭が上がらず土下座する。
代官山、巨大な白き高級な建築物の中で開かれるエコなマーケットの中を歩く。なんと、何もない広くがらとした新しき土地、この、漂白されし寂しくも懐かしき記憶の場処。


結局は了見の問題なのであった。私の好きな了見を持った人の処にしか寄り付かない。あなたの可能性の輝きをより磨いてゆける場は。
魂を増やすこと。魂を深めてゆくこと。亡き者のことを想うこと。亡き者と生きること。
私は知らない。
私の三人の師匠はみな、死を想う人であった、死者を想う人であった、死者と共に生きる人であった…、否、生きる者はみな元来、死者と共に生きる者であろう。

水…。水没した街…。死者たちの声…、亡霊の姿…、水死体となって徘徊する者の描く構造、…。
あなたが人として本当に深めたいものは何なのか。そのことの為だけにただ生きよ、精進せよ、と、教えを受けた。
人間の弱さが私は好きだ。脆さも好きだしいい加減さも好きだ。生きる上で私が大切にしているものの中に敬意と寛容さというものも、ある。

私がいつも赤い糸と、水と石と鈴と硝子を持ち歩いていることは何故か。白い衣は何だったのか。
原始感覚とは云え必ずしもプリミティヴな形式に惹かれるのではない。それは、確かに底知れぬ路のものに触れてゆく深みを持っている。
ただ、私は借りものに自らを合わせるのではなく、あくまでも今現在の私の自然から発生した地点より始めたい…、手探りの五感の肌の感触で、
私の生命線。生と死の境界と、愛の線(…糸と泉・半分の糸…)、触れられるものと触れられぬもの、見えるものと見えないもの、存在するものとしないものと、嘗てしていたものとこれからするもの、。
鎮める行為とは何か…。ここから先はお前の来る処ではないよ、と…。狂乱の舞い…、現在能も夢幻能もそうだ。
光の射す場処、闇の國、虹の郷、暴風の世界、砂漠の都市、振動の森、海底に沈む街、…。




23日
まるでそれは、
太鼓と笛の振るえ…、精霊について話した、仮面について、。
24日
夜、名曲喫茶のように大音量にて交響曲を流し続ける…、ラフマニノフもラヴェルも、。そこからモノ・フォンタナ、そしてジャンリュック・ゴダール、寺尾紗穂さん、そしてアンダーワールド…、どこまでも。
25日
ビリーホリデイ、どこまでも美しいストリングスと麻薬でボロボロになった身体から絞り出される天使の崩壊した声…、。
26日
ニーナシモン、ナシメントよりブルガリアンヴォイス…、ひどく、ひどく忙しき部屋で、足を棒にしながらも、夜が近付けば天上の響きに救われる、ソファに腰掛ける或る女性。
シルクロードに沿った文化の響き合う。
27日
只管にカエターノ・ヴェローゾが流れ続けていた、。女…、アルコホルを流し込む女性…、。
しなびた場末を舞う蝶のうっとりするほど安っぽく淋しい輝き、。
28日
この聖なる左足はいまだ完治せず、。













かこう、
わたしはいま、いしのうずまくとちにいる、
みずのうずまくちでもある、
はるばるとにぎわいのまつのしまをぬけ、
かんいなぶるぅしぃとのやねのしたでいそをやくひとびとはかぜにきえ、
せいれいのいねのなみだつそよぎのさざめきにふれた、
りくろよありがたふ、
そうまとうでははやすぎてしかとめにはいらないから、

かぜ…、あそこでかぜときいたのはまぼろしか…、
いつどこどたちのぼったのか…、
このたびでもうすでにさんかいもにじのすがたをみた、
にじはみずのりゅうだ、しんわのきょくほくのとうにあらわるまもりのせいれいだ、
さようなら、おんせんちであいしむすめよ、
わたしは(おりくち・やなぎた・かねこ・みやもと・あみの・きょう…さん…)をつれて…、
はじめにきたのがこのとちならよかったのにな…、といわれて…、
あぁ、そしてわたしはきょうもえんにみちびかれてここにいる…、
はじめてのち…、はじめてのばしょ…、はじめての…けしき…、
まったくであうひとであうひとごうのふかいひとばかりだ…、
ここにくるひとはかわったひとばかりだな…といわれるがさもありなん、
これはじゅんれいでありちんこんだ、
いきていることはしをみつめせいをみつめることだから、
わたしはじょーくにはついてゆかれぬがときにおれてかいまみえたこころのおくぶかさにひっつかまるる、
もしあのばしょがこのばしょだったら…?、
しかしどこがよりせつじつにひとのてをひつようとしているのか…、と、わたしのやるべきしごと…、
わたしにしかひらけぬとびら…、
きぐうにもとどきしたよりはみずからのちへのあしのつけかたをあらためてはっきりとかくにんさせた、
ここではただながされるだけでもじゅうぶんにみのりはあるだらふ、
されどそれはいまのわたしのやるべきしごとでない、
しかとはじめのおもいをむねにきざんでおくこと、

もうねむい、
このたびはふしぎなねむけといつもともにある…、
わたしがゆめみているのはおにのてがたのかぜとみずとひかりといわのくにだ、
そしてひとはでくのぼうとしてたおれたいっぽんのきょぼくのようにただいのりのしぐさでそらをながめている…、
ひとはあるく…、
ひとははなす、ひとはふれる、ひとはうごかす、ひとはうみだす、
きょ…、(あるいは、から・くう・そら…、)、

いつのまにみえるようになったのだろう…、やみのおく…、
わたしはしらない、
わたしは…、



iPhoneからの投稿
逃げてゆく犬を捕獲する。


もう一度、いちから、詩的言語と云うものを紡ぎ始めようとする…。
モノローグなのに次元を越えてダイアローグ的に開かれて行く様なことばたちのこと、。



踊ることと、
揺れることと、
延ばすことと、
跳ねることと、
踏むことと、
放ることと、
回すことと、
急に崩れ落ちたり、
急に力が入ったり、
そういったことが、
全て私の身体の中で、
自動的に突き動かされて行くの、
今日は久方振りに近所の境内で踊った深夜、
思えば随分身体も動く様になったものだ、
"魂が先行する踊り"、と師匠は云った、
動きと視線のことにも少しずつ取り組み始めた、
来月のお稽古からは、なるべくなら逃げない様にしよう、
確かに私は変化して来て居るから、。


・人類学的なスケール。生命論、生態学的な、。





・硬質な片仮名で刻むこと、柔らかに香る有機的な平仮名で記すこと、。
片仮名の"声"は、層を越えて来る…。「2001年宇宙の旅」を観た。
HALの声…、HALの歌…、HALの記憶…、。
"もの"や動植物や神様の声だけでなく…、「風の谷のナウシカ」の巨神兵の声…。


・私はいちから、ことばを確かめてゆかねばならない…。五感のみならぬ身体の中の感触を確かめてゆかねばならない。





ほら、私はこうやって、きちんと想いを遂げられぬ侭にしてしまう。
それは相手に対して失礼だ。
ちゃんと自分の事には最後迄責任を持って!
自分の身体には!自分の感受性には!自分のヴィジョンには!
きちんと輪郭付けてあげる事、
それがきっと、成就させてあげる事。
きちんと成仏させてあげる事、あなたの感じている其の侭を。其の実感を。
その為には、睡眠時間なんて削っても構わないでしょ。
そんなの云う迄もない事。
それが生きてゆく上での最低限の誠実さ、自分自身に対しての。
其れは関わる他者に対しての。
丁寧に編んで行くこと。

成就させてやること。
成仏させてやること。
鎮めること。
奉ること。
献ること。
想いを。
真摯に向き合うこと。
眼を背けないこと。
かたちづけること。

植物のかたち。
物質のかたち。
光線のかたち。
形態学のこと。
ことばの形態学のこと。





今年に入り、随分と又遠く迄来て居るものだと感ず。
当初の想念とは遠く離れ、然れど一層確かな足場は僅かづつではあれどしなやかに固まって来ている。
北の旅は、思いの外に此れからの私の指針を力強く動かし進めてくれる様なものであった。
また、金銭を投げうって新たに取り組み始めた幾つかの試みも身体の中で静かな磁場を持った確かな実りとして育って来て居ることを感ず。

ことば。
矢張り ことば なのだ、と感ずる次第なのです。
一からことばを、自分の身体の中を通って来た感触を、其の肌理の機微に沿って確かなことばとして汲み取り、紡ぎ出す事。
私がGY師匠に感銘を持って受け取り且つ育てて来ようとして来たのは結局は此処なのだと。

ことばに対する愛憎。
私は「言葉」という言葉に、何故か生理的に漢字を当てたくないと感じて来た。


顕微鏡を覗く。
たった二十倍では在れど、否、其の位の肉眼でも視えるし指でも感触を確かめられる程度の大きさの物の世界に分け入って行く事が大切なのであろうけれど、。
僅か一ミリの溝が断崖絶壁の様にあったり、

碧き石に触れた時、私は感激して涙ぐんでしまった程。
純金を見る時、時を忘れる、とはこういう感覚か、と…、時めいて行くという感覚を。