魔術とは世におどろおどろしいイメージが定着しているかのように・・・・・そこにある。
何とか爽やかなイメージに変換させるべくワタクシ真矢は自己見解に挑む・・・。
とある魔術書籍~理論編~を目にしていると文面に一説の訳文が掲載されていた。
他の動物たちはうつむきになって、目を地面に向けているのに対して
人間だけは顔をもたげて天を仰ぐようにさせ
まっすぐ目を上げて空を見るようにいいつけた。
オウィディウス『変身物語』第一巻
時に魔術関連の書籍にはうつむきかけた自分の人生に光を与えてくれることが多くある。
特に魔術技法にこだわるわけでもなく薦めているわけでもない、一説の文面が言葉が人々の人生に大きく左右する事を感じられる材料なのだ(笑)
そこに掲載される言葉を放った人達の多くは科学者だったり心理学者だったり様々ではあるが、魔術師が歴史上ペテン師、インチキ野郎などと非人道的な表現で語られるのも不可解な不思議と謎が解明されないままの状態が放置された結果への罵声と思われる。
時代もあるかもしれない・・・・。
最近・・魔術を実証するにはどう表現するかを模索しながら様々な日常を目にしていると、魔術をマジックとルビをふっている書籍に気付いた、マジックといえば真矢にとっては手品と連動する。
手品には種があり、不思議を目に見えるカタチで表されたエンターテイメントだ。
魔術にもお馴染み、錬金術というものが存在する。
錬金術は物理の法則の元、形を分子分解し再結合する術である。勿論お約束どおり等価交換。
正義を示せば吉となり自我を通せば悪となる・・・いわゆる次元分解的なところもあるので使用前の心構えは非常に重要。ハート型のクッキーを焼きたかったのに熱で全部くっついちゃった的なことになります。
これを通じて魔術を解りやすく説明するのであれば・・・・
目の前に水がある・・・・その水が人体から放たれる何らかのエネルギーによって水素と酸素に分解されたなら、目に見えない(認知できない)ものになる・・・消えるということだ。
世にいう魔術とは無意識的に又は意識的に問題に対しての必要なエネルギーを人体を通して意識が電気を発し・・・難題として捉えられている意識へ衝撃を与え分解し認識できない状態へと導く・・・とまあこんな感じです。
これらを数字で証明する事ができれば世の魔術師は罵倒されることも無く大学の博士となり、またワタクシ真矢も占術師ではなく科学者と呼ばれることになっていただろう(笑)
ただ、私の思う魔術はこんな小難しい感じや危険な感じではなく、日本語の美しい響きや優しい物腰、臨機応変な寛容性・・・それが悩める人の心に浸透し固まりそうな不安を少しでも緩和し幸せを感じれる言葉の魔法を探しているにすぎないのかも知れない。
魔術師と手品師、どちらもあなたの笑顔の為に存在しているのだから。