輪郭を探す | 日々の暮らしを重ねる

日々の暮らしを重ねる

心の真ん中は、深い森の中にある泉のようで
みつけた!と思ったり、見えなくなったり。
だけど日々の小さな営みの中から見出す
喜びやときめきは深い森の泉のきらめきなのかもしれないな…
などと思う今日この頃。
そんな日々の徒然を重ねてゆきます。


少し飲み込めない事があって
それは大した事ではないのだけれど
気分を変えようと喫茶店に来た。

今日が返却期限の本。

読み終わらせて、帰りに図書館に返しに行こうと、図書館に近い喫茶店を選んだ。

朝ごはんを食べただけなのに、
さっきまで今夜のおかずを作っていたから、
全然お腹が空いてない。

散々メニューをみたけれど、
どれも食べたくなくて、コーヒーだけ頼む。
豆菓子が付いてきて、それが美味しかった。


今朝読んだブログに
自己受容のバロメーターは、
どれだけ他に対して寛容かという事にあらわれるらしい。

そのバロメーターによれば、
今の私はひどく自己受容が低い状態と言える。

そう言われても、
急にそんなものが上がるわけでもなく、
いろんな積み重ねによるものだと思う。


今年の私の運勢は、ものすごく良いらしい。
でも、年が明けてから、私は脱殻のような気持ちになってしまった。

たくさんの疲れもあったし、無理に飲み込んだ事が消化不良を起こしてしまったこともあっただろうし、そんな自分が嫌で許せない気持ちも、奥底に潜んでいて、それがちょっとした振動で、静かにしておいた身体中の水を濁らせてしまったようだ。

それをなんとかしなければと思う気持ちと、
それをもう少し味わっておきたいような、変な気持ちがあった。

そして、そこから出ようとする力が湧かない。

その力を無理に絞り出しても、きっと足りない。

ぼわぼわに膨らんでしまった、自分の心。
がんばったり、奮い立たせたり、
こうしなきゃだったり、こうありたいだったり、散々そうやって、本当の自分より大きくなってしまった輪郭。

その輪郭いっぱいにエネルギーを注ぐことは、
もう出来ないな。

本当の自分の大きさ、
本当の自分の輪郭になった時が、
自己受容が高まった時になるのかもしれない。


半分くらいしか読んでなかった本は、
読み進んで最後のページになった。


飾らない文章と、作者の感じることへの共感に、
いつのまに気持ちが落ち着いた。






美味しいものが出来たとか
汚れたとか
綺麗になったとか
面白いとか
疲れたとか
たった1日のなかでだって、
いろんな感情が湧いたり消えたりする。


それはなんとかなるもんじゃなくて
生きてるってことなのかもしれない。




夏に植えたオレガノ。
あちこちから脇芽が伸びて、ますます元気。

それだけで嬉しい。