人ってものは、
安心感を求めて生きるものなのか?
暮らしの安定
心の安定
同じという安心
違うという安心
受け入れられている安心
1人きりの誰にも邪魔されない安心
今、思いつくだけでも幾つもあるなぁ。
人の数だけ、それはあるのかもしれない。
安心感がどれだけ純粋なものなのかと考える。
ここにあなたが居てくれてよかった
誰かの役に立てた
そんな風に、安心感が誰かとセットになる事は
多いような気がする。
1人では生きていけないけれど
いつも誰かの反応による
心の充足や安心であったなら
いつも不足感を埋めるように
生きなければならなくなってしまう気がする。
誰かの反応は
予期せぬおまけみたいなもので
それはいつもじゃなくて
でも貰えると嬉しい。
自分が好きなことをして
それが誰かの心に少し触れて
その人がやっぱり少し
私の心に触れてくれたら
嬉しい。
自分なんて
広い世界から見たら
チリのような大きさで
その私が何かを動かせるなどと思ってはいない。
だけど、チリのような私の何かと
誰かの心が触れ合うことは
小さな一滴が水に描く波紋のように広がることもある。
この世は矛盾してる。
その矛盾の中で
自分の求めるところへ泳いでる。
自分がいいと思う方へ。
孤高の人になりたいわけではないけれど
自然な心でいたい。
山に登りたいわけでもなく
山から見下ろされたいわけでもない。