そのままで良いと思った。 | 日々の暮らしを重ねる

日々の暮らしを重ねる

心の真ん中は、深い森の中にある泉のようで
みつけた!と思ったり、見えなくなったり。
だけど日々の小さな営みの中から見出す
喜びやときめきは深い森の泉のきらめきなのかもしれないな…
などと思う今日この頃。
そんな日々の徒然を重ねてゆきます。


羽根が落ちていた。

羽根ってね
天使がそばにいますよって
メッセージと言われます。


天使に限らず
私たちの周りには
目には見えないけど、いろんな存在がいる。

ご先祖さまとか
神様とか
家族とか
ペットとか
草花とか
風とか水とか。


それらは
ただそこにあるんだけど
響きあっていると思えるのです。



ここ数日の私は
かなり真っ黒になっていました。

あることに囚われて
抜け出せなくなっていました。

それは私の問題でなく
他の人の心のもんだいなんだけれど
しつこくしつこく突っつかれていました。

その人の事だから
その人が気がつくまで
その人が自分で変えるまで
耐えようと思っていました。

そうすれば、そうするほど
一層しつこさは増していきました。

それからいろんなアドバイスも運ばれてきました。

私は
本当にこれで良いのかな?

だんだんわからなくなって
自信をなくしていきました。

そうなると、もう防戦一方です。
ますます突っつかれます。

昨日はぐったりして、
寝ても疲れが取れませんでした。


今までの私は
そういう場面になり、追い詰められると
相手を排除するか
自分がそこからいなくなるか
その二択しかありませんでした。

今回
排除は無しにしようと思ったのです。

これだけアピールがあると言うことは、
何か意味があると言うこと。


さて私、
どうしたいのかと問われたら、
自分の心地よい事を選びたい。

それは自分勝手にふるまって、
自分だけが良い事を選ぶのではありません。
それって、心地悪いでしょ。


出来る事なら
仲良しにならなくても良いから
お互いが心地よくいたい。
私もよくて
あなたもいい。
そんな感じ。

そして、
私は自分の心地よさに嘘はつかない。


そう思っても
そのしつこさ
突っつかれ具合に辟易してしまい
もうどうしたらいいか、わからなくなっていました。


そんな時
あの羽根が私の足下に落ちていたのです。

そばにいるよ
応援しているよ
あなたはあなたのままで良いんだ


そう言われた気がしました。


その後
私はメンターと会うことになっていました。

この羽根の事や
最近の事を話しました。

そして私の中にある
その答え、アイデアを引き出してくれました。


それは、
排除することでも
逃げることでも
闘うことでもなく

私はこんな風にやるよ~見ていてね~と
愛を持って行動すること。

私が良いと思って
それを良いと感じてくれる人と
心地よく過ごすこと。

その空間に
あなたは入れないと
見えないバリアを張るのではなく
開け放して見せること。


そんなに簡単にいくことではないかもしれない。

しつこく突っつかれるかもしれない。

でも、
それが選びたい事だった。



私にとって
その人は
とてもとても怖くて面倒くさい。

そこに正面切って何かはできないけど

信頼できる人たちと
私は
私たちは
こういう風に心地いいよと
見せつけるでもなく
仲間はずれにするのでもなく

淡々と淡々とやってみる。

小さくならずやってみる。

だって
私はもう、私の事を信じてるし
苦手なことも得意なこともあるけど
それでOKと思ってる。
前より
しなやかで強いはず。


それをあの羽根は
その人は
教えに来たのかもしれない。