まずはこの本を、あるおとなのひとに書いてあげたことをみんなにあやまろうと思う。
でも、ぼくにはとってもまじめな理由があるんだ。そのおとなのひとは、ぼくにとって世界でいちばんのともだちなんだ。
もうひとつ理由があるよ、そのおとなのひとはなんでもわかっちゃうんだ、それが、こどもたちにむけて書いた本であってもね。
さらに三つ目の理由もあるんだ、そのおとなのひとはフランスに住んでいて、寒さにふるえて、おなかをすかせている。だから、なぐさめてあげたいんだ。
だけど、それだけじゃ、まだものたりないって言うなら……そうだね、ぼくはこの本をみんなとおなじ、こどもだった頃のおとなたちに贈ろうと思う。だってそうだろ、みんな最初はこどもだったんだから(だけど、おとなたちの多くは、それを忘れてしまっているかもしれないけど)。
だから、最初のあて名のところを少しだけなおそうと思うんだ。
まだ子どもだった頃の
レオン・ヴェルトへ
※レオン・ヴェルト(一八七九~一九五五)はフランスの作家で、サン=テグジュペリの無二の親友である。かれは、戦争や植民地主義に反対する平和主義者で、かれとサン=テグジュペリは一九三一年に出会い、年ははなれていたが、会った瞬間からお互いのことを深く理解し合えるほど、親しい仲となった。「ル・プチ・プランス」を執筆していた当時、世界は第二次世界大戦の真っ只中にあり、フランスはドイツ軍に侵略されていた。当時、サン=テグジュペリはアメリカにいたが、レオン・ヴェルトはユダヤ人だったため、フランスで身を隠すようにして過ごしていた。最初の献辞のあて名がレオン・ヴェルトなのは、サン=テグジュペリとレオン・ヴェルトのふかい絆の証を表している。サン=テグジュペリは、一九四四年に祖国のために偵察飛行を行い行方不明にとなる(のちに彼の乗っていた機体が地中海で発見される)。その四年後にレオン・ヴェルトは、« Saint-Exupéry tel que je l’ai connu »(私の知ったそのままのサン=テグジュペリ)という本を、最後に執筆した。